その時に訪れた小学校です。
館長さんがすごく良い方で、閉館時間を少し過ぎてしまったのに、とても丁寧に説明してくださった。
今は、君が代を歌っても問題になってしまうような時代なのに、ここの子どもたちは原爆の話を観光客に説明できるくらいよく知っているそうです。
伝えていかなければいけない真実を残していくためには、こういう施設は貴重です。
無料とは思えない、大変見どころのある資料館でした。
本当に館長さんが素晴らしい方。
元気で、ずっと続けていただきたいと思いました。
とても貴重な建物です。
今後も大切にされ続ける事を願います。
原爆に耐え記念館として残っています。
コロナで中には入れませんでした。
貴重な文化財を守るため保存工事を始めていました。
3月27日再訪しました。
永井坂の桜や嘉代子桜が満開でした。
記念館も開館しており原爆落下当時のお話も聞けました。
被爆のカラスザンショウの木が保存されています。
修学旅行時に平和学習として被爆された方からお話を伺いながら歩く機会があり、その時に訪れた小学校です。
原爆当時の校舎の一部が保存されている。
城山小学校は、長崎市の爆心地からもっとも近い場所、500メートルにあった小学校。
その時の校舎の一部が平和祈念館として保存されている。
公共施設なので、残すことが出来た。
そこが、カトリック教会で信者の集団の所有物の浦上教会とは違うところ。
長崎市に来たら、必ず訪れるべきところ。
校舎はコンクリート造りなので、原爆の跡は一見してもわからない。
よく見ると、コンクリートの間に挟み込まれた木材が黒く焦げた状態になっている。
また、中には、被爆当時の様子がわかる写真や絵が展示されている。
当時の教頭がわずかに生き残った小学生たちを描いた絵は涙なくして見れない。
地域の市民団体が運営していて、中には、当時、この小学校に通っていた被爆者もいる。
運が良ければ出会うことができる。
20210605閉館中当時の長崎の栄光を感じさてくれるモダンな建物でした。
原爆による破壊に耐えたものです。
原爆落下中心地よりわずか500mの所に位置し、1400余名の児童と職員が尊い命を失うという大きな被害を受けた長崎市立城山小学校。
被爆以前の校舎は白亜の偉容を誇る、それは美しい3階建ての校舎だったのだという。
しかし、戦争がはじまり度々空襲に見舞われるようになると、校舎には迷彩色が施され校舎の一部は三菱兵器製作所の給与事務に使用された校長室で会議中に被爆し奇跡的に助かった当時の荒川秀男教頭先生が、戦後校長として城山小に戻り、現在の城山小に根付く平和教育の基礎を築いた。
被爆後も教室として使用していた被爆校舎を新校舎建設にあたり一部を被爆遺構として残し、児童の発案により平成11年(1999)2月に改装。
現在、被爆時の遺物などを展示する城山小平和祈念館として多くの人々に開放している。
忘れてはいけない戦争の遺産です。
原爆によって被害を受けた建築物と言うと広島の原爆ドームが最も有名だと思いますが、人造建築物では城山小学校が最も大きいそうです長い間当時のまま保存してあった様ですが、倒壊の恐れが出てきて解体されそうになった時に小学校の生徒や地域の方々の強い思いで補修して保存していくという事になったそうですコンクリートの内部に見える木材が原爆の熱で焦げているのがそのまま残っていて心が締め付けられました当時食べ物は芋くらいしかなく、校庭で芋を育てていて畑仕事をしていた先生が主に犠牲になったとの事です長崎に行かれる方は是非立ち寄ってもらいたいと思います。
名前 |
城山小学校平和祈念館(旧城山国民学校校舎) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
095-861-0057 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.7 |
タイから10年ぶりに地元長崎に帰省しましたので初めて訪問してみました。
現存する原爆の遺構は広島とここくらいだそうです記念館として使われている原爆遺構はここだけみたいですよ施設の方が親切に解説と案内をして頂きとても良い勉強になりました。