行徳道と佐倉道(市川道)の分岐点に設置されていまし...
船橋駅から徒歩15分位、道標の脇に掲示板が設置され次のように記されています。
元禄七年銘 道標元禄7(1694)年10月26日の銘がある、市内最古の道標です。
もとは70m ほど北東と寄り、現在は陸橋下となっている三叉路に建てられていました。
(所在地図参照)道標正面の「右 いち川みち」は、この三叉路のある船橋市海神から、市川市八幡を経て同市市川へ至る道(佐倉道の一部)を示し、「左 行とくみち」は、船橋市山野町、市川市原木を経て同市本行徳へ至る道(行徳道)を示します。
佐倉道は、江戸から佐倉城下に達する道でした。
その先が成田へと続いており、江戸中期頃から、成田参詣の隆盛と共に、成田道とも呼ばれるようになりました。
行徳は、日本橋と行徳を川で結ぶ「行徳船」の発着場でした。
行徳と海神を結ぶ行徳道は、楽で早い船旅を好む成田参詣者で賑わいをみせた道でした。
銘文(右)是よりいち川(前)右いち川みち 左行とくみち(左)是より行とく(後)甲 海神村元禄七歳十月廿六日戊 講中間。
かつて街道沿いに立てられた道標。
今は道から少し入ったお寺に移され、大切に保存されています。
念仏堂です。
お地蔵さん、初めて見ました。
刀を大事そうに持っているのでびっくり(@ ̄□ ̄@;)!!しました。
17世紀に建てられたようです。
因みにお釈迦様の教えで念仏はお釈迦様がお亡くなりになってから2000年は御利益がある。
その後は末法という時代に入り法華経の時代になると仰せになられたとか。
名前 |
元禄七年銘 道標 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
元々は北側にある陸橋のあたり則ち、行徳道と佐倉道(市川道)の分岐点に設置されていました。
現在は行徳街道と呼ぶことが多いですが少なくとも1694年頃は行徳(とく)道と呼んでいたようです。
そして行徳道の終焉はこの場所だったのです。
また、現在は国道14号から分岐した本町通りと呼ぶ旧千葉街道は佐倉道と呼ばれていましたが、この頃はあるいは(この三叉路より市川寄りは)市川道と呼ばれたのかもしれません。
今はそれを紐解く史料は無いですが、船橋宿の僅か手前(一般的に船橋宿は西向き地蔵から)多くの旅客が行き交ったのでしょうか。