子の胤行らが城主・居城としました。
文明2(1470)年に原左衛門尉景廣が築城したとされ、子の胤行らが城主・居城としました。
天正18(1590)年に小田原北条氏の滅亡とともに原氏も滅亡、関東に移封された徳川家康によって玉縄城(鎌倉市)城主だった北条氏勝が入城し、一万石の領主に封じられました。
慶長19(1614)年に養子の北条氏重が下野国(栃木県)の富田に移封されたため、岩富城は廃城となりましたが、現在も空堀や土塁などの遺構が明瞭に残されています。
入口が分かりづらい。
近くのコンビニに車停めて見学、
岩富城址 10年程前に、一度訪問したことがあったが、当時は本丸跡一帯は整った耕作地であったと記憶している。
しかし現在は、半山林化しており、かつて畑であった面影も、更にはここが城跡だったという事も判別に難い。
半山林化したからだろうか、いずこのシシ神様(野生化した山羊か?)が今、この城をお守りしている。
名前 |
岩富城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
主郭部の土塁、堀がよく残ります。
堀底ではシイタケ栽培してるようなので見学時注意です。