堂内の輪蔵のは約2000冊の経典が収められていると...
三重塔の横にあるお堂、経典が納められています。
堂内の輪蔵のは約2000冊の経典が収められているという。
1722(享保7)建立。
名学の文字は松平定信によるもの。
経典が納められている堂で、ここには約2000冊が収蔵されている。
現在は立ち入り不可。
享保7年(1722年)の建立とされるが、現在のお堂は文化6年(1809年)の再建である。
「一切経堂」の扁額を揮毫したのは、8代将軍・吉宗の孫である白河藩主・松平定信(彼の筆による扁額は各地の寺社に多数ある)。
ここにも名門・嶋村流の手による彫刻があり、火頭窓の前側4枚(正面扉両脇と左右面の正面側)が3代・俊実の手によるもの。
俊実の作品はほとんど知られておらず大変貴重で、歌や講談で知られる安房の彫師「波の伊八」こと武志伊八郎信由の師匠が俊実である。
向拝の木鼻獅子は嶋村圓鉄の作とされるが、建立年代から見て誤りと考えられる(圓鉄は1720年没)。
そのため、6代・嶋村俊規の作ではないかと思われる。
ちなみに、火頭窓の後側4枚は2010年の作で、彫師は新勝寺総門を担当した塚原桂昌。
大分前に来た時には、お堂の中には二千冊の仏典が収められているという回転式の経蔵を見る事ができました。
うろ覚えですが、この輪蔵を一回転させると、すべてを読んだことになるということらしく、初詣の時に自分で輪蔵をぐるぐる回転させたことがあります。
なんという横着。
今回来た際には、お堂の中を観ることはできませんでした。
もう、非公開になっているのかな。
三重塔の脇に鐘楼と並んで建っているお堂。
一辺が三間(一間の長さ1.8m 前後)の方三間(ほうさんげん)で屋根形状は宝形造(ほうぎょうづくり)になっている。
1722年(享保7年)に建立されたそうです。
堂内の 「輪蔵」 には ”一切経 約2000冊” が納められていて、経典を収めた台を回転させるだけでお経を読んだのと同じ徳が得られる。
昔は、堂内に入り「輪蔵」を回すことができたそうだが、今は立ち入ることができない。
「輪蔵」の下段を見ると、8体の ”鬼神”が支えているのが見える。
花頭窓(かとうまど)等のお堂の彫刻も見事です。
H29.11/30の8時頃往訪。
約二千冊の仏典が納められたお堂。
名前 |
一切経堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://daihonnzann-naritasann.jimdo.com/%E4%B8%80%E5%88%87%E7%B5%8C%E5%A0%82/ |
評価 |
4.1 |
開山千年祭の三重塔建設により、昭和12年に現在の位置まで2~3mほど移動したのですが、曳家鳶の棟梁だった祖父も関ったとの事。
本人はネグロス島シライ山で戦死しておりますので、形見である千年祭の袈裟を着けて会った事の無い祖父に会いに行っております。