神職在住、御朱印を記帳して頂ける神社。
なかなか雰囲気のある神社です。
お守りなどの販売もあり、駐車場もあるので、行きやすいです。
和光市駅から徒歩20分位の場所。
御朱印はインターホンを押して書き置きのものを頂けます。
なお、日付は入っていません。
きれいな神社でした❗
地元を見護る神聖な神社の趣きがあります。
平日の午後に伺いましたが誰も居らず、インターフォンを押して御朱印の対応をしてもらいました。
御朱印は書き置きのみで日付が入っていませんでした。
初穂料はお気持ちとの事なので事前に小銭を用意した方がいいです。
かなり由緒正しき神社のように感じます。
正月3日に訪れました。
物販などは、完全セルフとなってました。
コロナウイルス対策が万全にされてましたね。
新しく出来た手水舎が立派柱がご立派神輿庫も新しくなり、これから社務所も手を入れるもよう!?
毎週お伺いします。
月初めには立派な御榊をお分けして頂けます。
家の神棚にその御榊をお供えすると下新倉八幡神社様のパワーをおすそ分け頂いたかの如く神棚のパワーが漲ります。
初宮詣で、両家揃って祈祷して頂きました。
情緒のある神社です。
ここにして良かったと思いました。
社殿に入り、祈祷前に玉串料と初穂料の意味合いの違いを教えて頂き、初宮詣の場合は初穂料になるとの事。
おしい。
前もって当日の流れを電話で聞いた時は、玉串料は祈祷前にお納めください。
と女性の方は玉串料という言葉でした。
その言葉のまま父親側に伝えてしまいました。
両家が揃う場合はデリケートな部分が出てきます。
神社内でも初宮詣は初穂料と共通認識でお願いしたいと感じました。
神職在住、御朱印を記帳して頂ける神社。
玄関のインターフォン呼び出し、玄関で応対。
新倉氷川八幡神社宮司の弟君です。
オーバーオールを着て境内の清掃など、外仕事をして居られる事が多いので庭師さんと勘違いされる方が多そうですね。
大昔、新倉村は人口増加で上下に分村。
喧嘩別れでは無いので御祭神も分霊してそれぞれの鎮守とした良く有る事例です。
立派な社殿と、鄙びた富士塚。
イチョウに囲まれたお社で、昔は、イチョウが高く、まるで袋の中から空を見上げるような感じだったが、数年前にイチョウの上の方を切り落としたため銀杏も成らなくなった。
市内にはもう一つ、新倉氷川八幡神社があるが、由緒はこちらの方がはっきりしてて、平安時代に源兄弟(義家、義光。
頼朝は義家の玄孫になる)が、後三年の役で奥州平定後に戦勝祈願した八幡大神への返礼として、この地に八幡社を建立したのが起源とされ、その後、氷川様を合祀したそうだ。
八幡大神は、源氏の氏神で、戦いの神という印象があり、一般庶民は、戦いを好まないから氷川神社にしたようだ。
明治時代に上新倉、下新倉、白子の三村が合併することになり、このすぐそばに、東輝学校という尋常小学校が造られたが、その後、上新倉村が、合併を拒否した為、この東輝学校は明治41年に白子尋常高等小学校となり、今の白子小学校の元とされている。
ほかのローカルガイドさんが、新倉氷川八幡神社の分社のような事を書かれてましたが、昔は、新倉は上新倉村で、こちらは下新倉村だったので、神社は、各村ごとに祀られてたので分社というわけではない。
1091年創建、村社、下新倉村の鎮守であった。
八幡宮として創建し、その後1594年に氷川社と合祀した。
境内には琴平神社と稲荷神社が鎮座しています。
拝殿前は広く開けており気持ちよく参拝できる。
・御朱印有。
よく利用しています。
大きいっすな。
旧下新倉村鎮守、氷川八幡神社。
和光市内に3社ある旧村社の一つで、新倉氷川八幡神社の分社と考えられています。
境内神社として富士嶽浅間神社と稲荷神社・琴平神社が、飛び地境内神社(いわゆる境外社)として富士浅間神社(浅久保富士)、稲荷神社(浅久保稲荷神社)、御嶽神社(浅久保武蔵御嶽神社)、谷戸稲荷神社を管理しています。
宮司さんは平日はいらっしゃらないため、御朱印が頂けるのは主に休日に限ります。
宮司さんは明治以降の3代目からは京都の陰陽師の系譜である野火止氷川神社の家系で、当代(7代目)は新倉氷川八幡神社の宮司さんの弟さんです。
名前 |
下新倉氷川八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-464-5376 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
アンドロイドのおかげで、迷わず来られました。
七五三の日曜日なのに、どなたもおられず貸し切り状態でした。
御朱印は気持ちの書き置きでして、ポケット内の全て320円を納めました。
(貧乏です)そんなわけで、帰り道は雨でしたが、今回は傘があるのです。