近世期には庚申塔に多く彫られるようになりました。
猿田彦庚申塔猿田彦は日本書紀に天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊を道案内した国津神として記載されていたことから、道の神、旅人の神として祀られ、近世期には庚申塔に多く彫られるようになりました。
旧板橋街道近辺(現在の区道 北一五五五号線付近)には更新信仰の本尊として青面金剛が掘られた庚申塔のほか猿田彦神が彫られた庚申塔が江戸時代から多く設置されていましたが、明治時代から大正時代にかけて、旧板橋街道を含む一帯に陸軍被服本廠が設置されると、本廠周辺にあった庚申塔は本廠敷地内に集約されました。
戦後、被服本廠の敷地は進駐軍による接収を経て、日本住宅公団(現UR都市機構)の赤羽台団地となりました。
団地建設に伴い、昭和三十七年に庚申塔は旧赤羽台団地四九号棟付近に移設されました。
移設後は「赤羽台猿田彦神社」として赤羽台団地の住民のみならず地域の守り神として長年崇められてきましたが、赤羽台団地の建替に伴い、本神社に平成二九年四月に移設されました。
掲示板より。
赤羽八幡の境内にある。
赤羽駅から徒歩10分位、八幡神社の境内にあります。
説明板が設置され、次のように記されています。
『猿田彦は日本書記に天照大御神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神として記載されていたことから、道の神、旅人の神として祀られ、近世期には庚申塔に多く彫られるようになりました。
旧板橋街道近辺(現在の区道 北一五五五号線付近)には庚申信仰の本尊として青面金剛が彫られた庚申塔のほか猿田彦神が彫られた庚申塔が江戸時代から多く設置されていましたが、明治時代から大正時代にかけて、旧板橋街道を含む一帯に陸軍被服本厰が設置されると、本厰周辺にあった庚申塔は本厰敷地内に集約されました。
戦後、被服本厰の敷地は進駐軍による接収を経て、日本住宅公団(現 UR都市機構)の赤羽台団地となりました。
団地建設に伴い、昭和三七年に庚申塔は旧赤羽台団地四九号棟付近に移設されました。
移設後は、「赤羽台猿田彦神社」として赤羽台団地の住民のみならず地域の守り神として長年崇められてきましたが、赤羽台団地の建替に伴い、本神社に平成二九年四月に移設されました。
』
名前 |
猿田彦庚申塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
赤羽八幡宮内にある古峯神社の中にあります。
詳しいこと知りたい人は、写真見てください。
近くに縁結びの神 大国主神社・因幡の白兎などあります。