社務所が改装されたようで新品でした。
本殿は三間社流造り桧皮葺で奈良時代の行基の開祖と伝えられています⁉️重要文化財です‼️
木津 御霊神社(ごりょうじんじゃ)祭神大國魂命(おおくにたまのみこと)生國魂命(いくくにたまのみこと)稲倉魂命(いなくらたまのみこと) 摂社 菊永神天穂日命(あめのほひのみこと)天津彦根命(あまつひこめのみこと)活津彦根命(いくつひこねのみこと) 摂社 瀬織津姫姫命木津三社(岡田国神社、田中神社、御霊神社)の一つ。
聖武天皇が東大寺大仏殿を建てたとき、その余材でこの土地に国分尼寺(誓願寺)が建立されたので、この寺の守り神として神殿を造営した。
御祭神として、木津郷黒山(現在の鹿背山)より 大國魂命、生國魂命の二神に遷座給わる時、大白玉 が空中より天下りて光を四方に放ち、金剛童子に神移らせて、「この地を永く鎮護するため降臨する吾は 「稲倉魂命」と名乗られたので、聖武天皇は直ちに稲倉魂命を合わされて祭祀され、白玉神社と名付けられた。
貞観十八年(877)、清和天皇の時代に天穂日命・天津彦根命・活津彦根命三神が勧請された記録がある。
1730年に社殿が再建され、名称が御霊神社となり現在に至る、とある。
早良親王・藤原廣嗣・伊予親王がいつどのような経緯で祀られるようになったかは由緒には書かれていない。
境内の真ん中に砂モチがある。
パワースポットでこの砂を持って帰ると良いそうだが、なんだか畏れ多くて触れなかった。
木津三社との事で訪問。
こちらも立派でした。
何か不思議なパワーが感じられました。
社務所が真っ新でした。
木津国神社、田中神社とともに木津三社に数えられている木津の産土神とされている。
当初は非業の死を遂げた者の霊を鎮めるための『御霊信仰』に関わる神を祀っていたようだが、現在は天之穂日命、天津彦根命、活津彦根命が祭神となっている。
876年、清和天皇による天下太平、悪鬼防御の守護神として大路村に創建されたが、1973年に日本住宅公団の木津ニュータウン建設に伴って、現在地に移り、1983年、社殿が造営された。
10月第四土曜、日曜に開催される木津川市を代表する秋祭り・木津御輿太鼓祭で賑わう。
17/11/05、参拝。
広くて静かな神社🙋
木津郷の産土神、「木津の御霊」とも言われる社。
木津祭では木津三社(岡田国神社、田中神社、当社)を神輿が渡御するとか。
876年創建、当初の御祭神は藤原広嗣、早良親王、伊予親王であったようです。
非業の死を遂げたそうそうたる神名が並びます。
特に広嗣に関しては、その祟りを恐れて聖武天皇は恭仁京、紫香楽宮、難波宮と遷都を繰り返した考えられています。
江戸時代に再建された際に、祭神替えが行われたのでしょうか。
「御霊神社由緒書」による、八所御霊(藤社、京極上御霊、京極下御霊、高野御霊、木津御霊、上桂御霊、綴喜御霊、下桂御霊)の木津御霊だと謂われている。
住宅地にある神社です。
社務所が改装されたようで新品でした。
トイレはあったのですが鍵がかかっていて使用出来ませんでした。
殆ど人がいないので静かです整備されているので綺麗です。
本殿の正面から見て右側に2本の大きな杉の木がありました。
特にいわれはないようですが根本付近でくっ付いていて夫婦のような感じで良いなと思いました。
トイレがキレイ‼️
国道163号線が渋滞している時、この神社の前の道を通る車が増えます。
地域の鎮守様です。
名前 |
御霊神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-73-8191 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
国分尼寺の守り神として橘諸兄が造営したのが始まりだそうです。
大変綺麗に手入れされていました。