高句麗からの渡来人が建てた寺の跡です。
全くの自然の風景の中に案内板があり、建物跡の基礎が残っています。
目を閉じなくてもいっきに1300年以前にタイムスリップできます。
草むらに寝転がり大空を眺めると、それは奈良時代の人々が眺めていた空。
いいところです。
田圃に囲まれた中にポツンと、素晴らしい寺院跡で建物を想像しながら時間を過ごせます。
木津川の北側の斜面の広い場所にあります。
コウクリでコマと読むそうです。
上狛駅もこのお寺から名前からきたのかな?木津川沿いのお寺が廃寺になってるのは、洪水や台風のせいでしょうか?
JR上狛駅から徒歩で向かうしか方法は無いでしょう。
駐車場は無いです。
狭い道ですが抜け道のようで車の往来があるので注意です。
建造物は無いので想像力でスケールの大きな寺院があったことを描いて下さい。
高句麗からの渡来人が建てた寺の跡です。
京都最古で、国内でも最古の寺院の跡です。
塔とお堂の柱の跡しか残っていないので、塔の礎石のレプリカを載せています。
周囲は特に何もなく、行くのも1車線道路をのんびりと行くしかありません。
近くの駅も「上狛駅」「下狛駅」で渡来人がたくさん住んでいたことを伺わせます。
木津川の対岸がよく見えますが、五重塔があった頃はもっと遠くまで見渡せたと思います。
令和2年には工事が終わるとのこと。
2019.11 1400年前の広大な寺を想像しながら…紅葉🍁が綺麗。
日本の原風景。
再建しなくて、このままでも十分楽しめる。
史跡高麗寺跡 この場合「高麗」と言えば 高句麗 の事。
4、5世紀頃は盛んに倭国と戦ったようで、高句麗との戦いで倭国は騎馬戦を知ったと云われています。
ここだいじ👆この寺は7世紀に新羅との戦いで逃れて来た高句麗からの帰化人・狛氏が建てたとされる恭仁京 の一角を占めていたんでしょうねruins_of_Koma-dera_Temple
2019年8月現在、史跡整備中との事で、フェンスが設置されていました。
今後駐車場等もでき、見学しやすくなるのではないでしょうか。
現在は駐車場もなく、狭い集落道沿いにあるので、車だとやや訪れにくいです。
田園のなかにたたずむ高麗寺跡は、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された国内最古の寺院跡のひとつで、相楽七郷中の大狛郷に属し、高句麗からの渡来氏族狛(高麗)氏の氏寺として創建されたと考えられています。
高麗寺は、文献資料から天平年中(奈良時代)に存在したことが「日本霊異記(にほんりょういき)」に記され、その他「今昔物語集」にも説話が収録されています。
伽藍(がらん)は、木津川を見下ろす台地上に南面して立地し、西に金堂、東に塔を持つ法起寺式の配置となります。
塔、金堂、講堂は整美な瓦積基壇を外装としており、講堂の両翼から伸びた回廊は塔、金堂を囲んで中門に接続し、寺域は一辺が約200メートルの規模であったと考えられます。
また、平成17年の発掘調査では、塔相輪(そうりん)上部に取り付けられた水煙(すいえん)と呼ばれる飾りを心柱に取り付ける円筒形の金具・擦管(さっかん)が見つかりました。
笠置より山城へ向かう途中、この辺りも保存事業により史跡を伝えてくれる。
跡地として整備工事もなされ、四季を迎える景色をみせてくれる。
歴史を感じさせる良い場所です。
これから多くの発見があることを期待しています。
何もないです。
名前 |
高麗寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/8,28709,36,420,html |
評価 |
3.8 |
「こうらいじ」と書いて「こまでら」と読みます。
163号線の抜け道になっているらしくスピードを出した車が多いので気をつけてください。
駐車場はありません。
ここから北東15㌔の場所にある童仙房の高麗寺とは関係は無いようです。