1774年、江戸時代最後に架けられた橋。
ちょっと怖いです。
1774年、江戸時代最後に架けられた橋。
1590年に豊臣秀吉に国替えを命じられた徳川家康は1594年に千住大橋を架橋した。
千住大橋の場所は武蔵国のうちにあたるが、その下流域は武蔵国と下総国との国境になり、下総国側は豊臣方の武将の領地になっていたため、防衛の観点から架橋は禁じられていた。
1657年、家綱の時代に明暦の大火(振り袖火事)がおこり、江戸では十万もの焼死者が出たため避難路が必要になり、「大橋」が架けられた、その頃には下総側は幕府の旗本や普代大名の領地になっていたため、架橋を禁じる必要がなくなっていたらしい。
大橋によって本所(今の墨田区)の開発が進み、30年後に大橋の下流に「新大橋」が架けられた。
今の隅田川に大橋という橋が無いけど、幕府が命名した大橋という名は庶民に浸透せず、国境の橋ということで「両国橋」と呼ばれたそうで、この呼称がのちに正式名称になったんです。
続いて永代橋が架けられたが、千住大橋から両国橋までの間は、渡し舟しかなかったそうです。
そこで、地域住民が幕府に架橋を願ったそうだが、幕府に架橋の費用が出せなかったため、この橋は民営の橋だったそうで渡り賃が2文必要だった(武士は無料)。
この橋は川の名を取って「大川橋」という名だったそうです。
地蔵の口コミじゃなくてすみません。
名前 |
あづま地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
ひっそりと建っていた。
お花が手向けられていたので、誰かが管理して ちゃんと手入れをしてくれてるのだろうと思った🙏