説明板には下のようにありました。
説明板には下のようにありました。
昭和四十一年に設けられた当時の説明板等に拠りますと、その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
その際に、これらの仏に戒名を与え祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。
(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。
) また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ、精霊の供養を営む日と定められてまいちました。
小さな建物です。
名前 |
祐天堂 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
元禄時代、この堂の後ろに流れる川に、祐天上人が、旅してきた時に川を見ると多くの屍を見て、屍を救い上げこの場所に葬り供養し堂をたてたと言われています。