先日、娘のお宮参りでお伺いしました。
八丁堀から築地の聖路加タワー方面に行く途中にあります。
と言いますか、こちらで私共の日々を見守ってくださっています。
神社やお寺、本当に有難いです。
神様や仏様が見守ってくださるおかげで、私は生きることが出来ています。
いつもありがとうございます。
お散歩中に太鼓の音に引かれてうろうろ見つけた稲荷神社です。
あれ?あれ?お稲荷さんなのに、狐さんが居ないんじゃない?狛犬さんはいるのですね⁉️ともあれ、綺麗な社殿でした🎵二宮金次郎の銅像は何故あるのかな❓️
中央区唯一の富士塚へ(^з^)-☆御朱印も頂きました😌今回は散歩を兼ねて新橋から歩いて行きました🎵
11月さいごの日、早朝にお参りさせていただきました。
冬の走りの青い空の下、きりっとした空気の中、まさに威容が目の前に。
自然にこうべが垂れてしまう。
諸々の由縁ばなしは、他の方がおっしゃるとおり。
本殿内は薄暗い灯りがあるだけ、ただ「ここに、いるぞ!」という空気感が境内に流れ出してくる。
何と言うか、自分の小ささを感じざるを得ない、お姿。
社殿前まで進まれる方、門の外であいさつされる方、人それぞれ。
気持ちさえあれば、自分のむねの内の思いを聞いてはくださることでしょう。
ひさしぶりで感じた、存在感、でした。
冬至の朝のご神事が有名です。
参加者には、金運が上がるお札を頂けます。
素敵な神社ですよ。
個人的には早起きして参加して、近くのロイホで朝ごはん食べて、茅場町駅まで歩いて、東西線で穴八幡に行く。
というルートをお勧めします。
宮司さんは70歳を超えた品の良いお爺様ですがご神事のあとにお話しされた内容が仏教からの出典でした。
そして祝詞の最後の「かしこみかしこみ もう まおす」が読めてなかったのが気になってます。
宮司さんじゃないのかなぁ。
お客様近くにあり参拝させて頂きました✨本殿はもちろんのこと末社、社殿奥にある富士山がまた素晴らしいなぁと感じます。
御朱印も御丁寧に対応頂きありがとうございました✨
このお社の佇まいは、“江戸下町の鎮守さま”の雰囲気が漂っているように感じられます。
明治元(1868)年に稲荷橋南東から、当地に遷座されたとのことですが、縁起によると、平安時代初期の仁明天皇の御代まで遡れるようです。
境内のお社などの社殿は、大正時代の関東大震災により被災したため、昭和10(1935)年にふっこう、整備されたとのことです。
江戸期の海岸線上に鎮座されます。
歴史のある古社です、富士塚もあり(現在登拝禁止です)三柱の神々を祀ります。
海岸鎮座ですので昔から海運業の守護社として航海の安全を担ってきました。
境内のあちこちに掲示される言葉が素晴らしく心の中で反芻してしまいます。
地元に愛される素晴らしいお社でした。
八丁堀氏神の鉄砲洲稲荷神社。
フラットで入りやすいです。
御朱印も対応してくれますが、文字はゴム印です。
手入れのされた境内と歴史ある手水舎、本殿、落ち着きがあります。
鉄砲洲というだけあって、鉄砲隊ではなく鉄砲の形をした運河から名前の由来は来ています。
お参りしてから訪問先へGo!
富士塚には、寛政2年(1790年)9月に稲荷橋詰の元社に築かれたもの、明治2年に社地移転あり、明治7年4月に現在の大鳥居より、東南十二三間のところに再築された。
明治18年社殿御造営にあたり大鳥居より西北八間のところに移された、更に大正大震災後の区画整理によって社地移転によって昭和三年十二月にこの地にうつる。
(概略)この辺の神社は富士塚が良く見られる。
また、地震の影響を受けていることもよく見かける。
東京直下型の地震気・・・気を付けなければ。
平安時代創建の古社で京橋地域の産土神さま。
埋立てが進むにしたがって京橋あたりから新京橋、鐵砲洲と遷座されています。
度重なる海側への遷座は、その場所に湊があったから。
江戸時代、消費物資はほとんど鐵砲洲の湊へ入っており、鐵砲洲生成太神の名は船乗りの海上守護の神として全国に広まっていたのだそう。
歌川広重の名所江戸百景にも「鉄砲洲稲荷橋湊神社」があり、鐵砲洲から芝浦までを江戸湊、京橋川と隅田川の合流点から南へ続く細長い洲を鐵砲洲と呼んでいたんですって。
境内には中央区で唯一の富士塚、鉄砲洲富士があります。
富士山の熔岩を用いており、頂上には末社鉄砲洲富士浅間神社が鎮座していますよ。
1790年に築造されて人気を集め、新地に移築後も再築、境内で移築を繰り返して現在は高さ5.4mだそう。
結構高いです。
富士山の山開きに合わせて7月1日のみ登拝可能なんですって。
神社でよく見かける力石は、力試しの習慣が廃れて力石が失われるのを惜しんだ住民が神社に奉納して境内に安置されたようです。
八丁堀駅の南にある神社。
富士塚がある。
狛犬の年代も古く、狛犬好きは必見。
大きめな規模の神社です。
銅製の屋根が青緑色で趣きのある色をしてます。
初めてのお詣り。
こじんまりしているが、結構見所があって楽しい。
社務所が立派。
京都市中心部の普通の神社とは経済基盤が違うようだ。
新月のご祈祷に通りすがりに立寄った神社。
あまり大きな神社ではありませんてしたが富士塚や二宮金次郎像などもありました。
名前にパワーがありそうですが由来が気になります。
先日、娘のお宮参りでお伺いしました。
神主さんのお人柄やユニークな説法、素敵でしたよ(^-^)
八丁堀近くに鎮座してます歌舞伎座の御朱印5Fに一緒に陳列しています東銀座から朝日稲荷、歌舞伎座、築地本願寺、波除神社の順番でまわると効率よく参拝できます(築地本願寺は御朱印なし)
仕事の合間に伺いました。
境内の木が大きく力強かったです。
毎年1月の上旬に行われる寒中水浴大会(寒中禊)は一年の無病息災を願う禊祓いの神事だそうで、戦後に始まったわりと新しい祭事です。
宮司のお祓いの後、入念な準備運動を行ない約80人の褌姿(女性は白装束)の人々が氷柱を入れた水槽に入ります。
人数が多いので順番になりますが、間延びした感じなどなく、掛け声とともにテンポ良く、そして粛々と執り行われます。
もちろん裸になって参加しない人でも自由に見学できます。
厳粛な儀式ですが、寒い中で行われることなので、そこはそれ、なかなかユーモラスなところもあったり、そうやって頑張ってる人たちを笑いながら見ている見学者(そう、そこのあなたです!?)にも、ここではあえて書かないお約束のハプニングがあったりで、みなさんが心を一つに張り上げる勇壮な祝声に、もちろん生演奏で行われるお囃子と、なかなか見所聞き所満載のオススメ行事です。
ちなみに参加者は一般申し込みも受け付けておられるので、ご興味のある方は是非ぜひ。
社務所に案内がありました。
平安時代創建で歴史ある神社です。
歌川広重の名所江戸百景にも画かれています。
境内は広くはありませんが、富士塚もあります。
隣りには児童遊園があり、近くには小学校もあるので子ども達が賑わってます。
東に少し歩けば隅田川です。
八丁堀駅から、月島方面に歩いている時に発見し、立ち寄りました。
コンパクトながら、まとまっている印象です。
伺った時が年末の29日で、境内は年始に向けた準備をしていました。
神社の御朱印は、ありますが、この時は、御朱印帳を持っていなかったので、いただけませんでした。
すぐ隣にある、やや大きな公園が印象に残りました。
百度石、力石あります境内には区内唯一の富士塚があります。
富士山の熔岩を用いたもので、頂上には末社鉄砲洲富士浅間神社が鎮座します。
知り合い方ののお爺さんが江戸時代に鉄砲洲で紙問屋をしていたとの情報を元に訪問。
思いのほか、歴史のある地名であることに感激。
841年創建、郷社、湊稲荷神社とも呼称される。
凶作に悩む住民が産土神を生成太神として祀ったのご始まりだという。
何度か遷座をし、1868年当地に遷座した。
1923年に関東大震災により被害を被ったが、1935年以降本殿や神楽殿が再興された。
立派な富士塚があり中央区唯一の富士塚で鉄砲洲富士と称される。
1790年に建立され江戸名所図会や歌川広重等に描かれ当時は人気があったという。
何度か移転をし、現在は5.4mの高さを誇る。
7月1日のみ登拝する事ができるので富士塚好きよ集まれ!境内には他にも二宮金次郎像や力石、針塚などの見所もあります。
氏子地域も広く細かく区切られている。
富岡八幡宮の氏子地域と被りそうで被らずといった所か。
弥生会という大規模な崇敬会があり、会報等も発行しており現在でも篤く信仰されている事が分かる。
御朱印有(鉄砲洲稲荷神社の社号と中央区神社めぐりの御朱印帳があれば、新川にある於岩稲荷田宮神社の御朱印も拝受できます。
)
(2017/10/30参拝)一度来てみたく、やっと来れました。
神社の周りは高層マンションに囲まれ、今なお建設が進行中の中に異次元の如く圧倒的な存在感で力強く鎮座している様に感じました。
東京大空襲の戦火から奇跡的に逃れた、昭和初期の木造の拝殿が大きく立派に構え 見る者の目を奪います。
ずっといつまでも残って欲しいです。
境内には同じ木造の古い神楽や境内社もあり、さらに奥の方には立派な大きな富士塚がありました。
ここ最近見かけた中では一番大きいかも。
安全上登れませんが、周りをじっくり歩いて見て回れます。
大きなマンションやビルを背に見る社殿や富士塚が、また変わった雰囲気を醸し出しています。
手水舎はじめ所々にお言葉が貼っており、とても心に沁みます。
これを探しながら見るのも良いかも。
とても良いお言葉が書いてあります。
隣の公園からは子供たちの声が聞こえ、近代的な風景の中に歴史を感じる木造の社殿、一度訪れてみて下さい。
お勧めです!素敵な御朱印頂きました。
宮司さんにも親切に、色々お話を伺う事も出来ました。
鐵砲洲稲荷神社 鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六六)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(一九三五)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向かい合うように配置され、境内西南隅に神楽庫が設けられています。
また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。
むかしの富士塚は「江戸名所図会」にも描かれた有名なものでした。
境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。
名前 |
鐵砲洲稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3551-2647 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
何の気なにしに歩いてたら不意に見つけたが急ぎだし雨も降ってた為一瞬迷ったが立派な神社だったのでしっかりお参り。
やはりこれもなにかのご縁ですね^ - ^いつもありがとうございます(◜ᴗ◝ )しかし雨の日の神社もまた雰囲気あって素敵ですな〜♫