桜が沢山咲いていてとても綺麗でした。
増上寺旧方丈門(黒門) / / / .
黒門という名前の由来は、元々は黒漆塗が施されていたことから。
増上寺の入り口の門をくぐりましたら、桜が沢山咲いていてとても綺麗でした。
さくっとみられる門が、17世期製品といういかれた界隈ですね。
シックな感じです。
旧方丈門。
昔は漆塗りだったようです。
増上寺の黒門はかつては方丈に入る為の門として使用されていたので、別名を「旧方丈門」と呼ぶそうです。
空襲を逃れた歴史ある門は区の文化財にも指定されています。
増上寺黒門。
四脚門形式のもの。
かつて増上寺の方丈(庫裏=住職、僧侶の居住エリア)への表門であったからことから旧方丈門と呼ばれるそうです。
また、黒塗りの門であることから黒門と呼ばれているとのこと。
珍しく正確な建築年代を示す棟札(建物内の記録)がないらしく、建築様式から江戸時代初期からの門であると推測。
隣の三門に比べると小さな門ですが、それでも駐車場への入り口として今も使われ、乗用車がらくらく通れる大きさのある門です。
元来、芝増上寺において、北方にあった方丈の表門。
現御成門交差点近く、芝公園4号地、みなと図書館姉妹小学校一帯が増上寺方丈であった。
現在は日比谷通り沿いの「三解脱門」の南に移築。
門全体に黒漆塗が施されていたので「黒門」と呼ばれた。
一間一戸切妻造本瓦葺、高さ8mの四脚門。
建立の正確な時期は明確出ないが、1648年から1652年の慶安年間といわれる。
江戸幕府が終焉し、明治時代になると増上寺方丈は国家移動開拓使に、さらにその後海軍の施設・公園になり、この門も方丈の正門という立場がなくなり、一時鐘楼堂付近に、後善道大祠師1300年遠忌に当たる1980年(昭和55年)現在地に移設された。
門扉は破損が激しく移築が難しいため取り除かれた。
徳川家光公から寄進されたとされる門でとても歴史を感じます。
増上寺の三解脱門より日比谷通りを左手に歩くとすぐある、黒い漆塗りの門です。
文化財指定を受けています。
空襲で焼失を免れた遺構のひとつで、重みが感じられます。
古い門です。
名前 |
増上寺旧方丈門(黒門) |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3432-1431 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
増上寺大殿と東京タワーは定番の景色でしたが、飯倉方向に高いビルが建ち始め、景観が少し変わり始めています。
(2022.1.20参拝時)また、余り知られていませんが境内北東に窯の神社が鎮座しています。
元和10(1624)年、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものといわれ、熊野=「ゆや」とよみ、正確には「熊野三所大権現」!手水鉢には赤い日輪に八咫烏、増上寺に行かれたらぜひ参拝してみて下さい。