クスリ業界の皆さんが造営した神社です。
医薬の祖神といわれる大己貴命(おおむなじのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)を祀った神社だ。
古くから日本橋には医薬品関係の会社が集まっていた。
かれらは医薬の祖神である上記二柱を遠方の神社まで出かけて参拝していたが、やはり近所に薬の神様が欲しかったのだろう。
1908年に上野の五條天紳社から薬祖神の御霊を迎え大際を行った。
その後、1929年にはこの薬祖神社が造営された。
当時は昭和薬貿のビルの屋上にあったという。
現在の社殿は三代目、三井不動産の再開発に併せ現在の地に2016年に建てられえた。
周囲には今でも武田薬品グローバル本社、アステラス製薬、第一三共など日本を代表する製薬会社が本社を構えている。
福徳の森にある薬の神様を祭る神社です、日本橋界隈は多くの薬品メーカーや薬品問屋が集積する地域なので元々は昭和薬貿ビルの屋上にあったそうです。
その後三井不動産の日本橋再生計画により2016年に福徳の森に遷座してきました。
玉垣には多くの薬品会社の銘が刻まれています。
福徳の森の一角に鎮座している小さな神社。
御祭神はオオクニヌシと医薬の神であるスクナビコナの二柱であることから、日本橋界隈の医薬関係者が上野の五條天神社から分霊を勧請したのが由来である。
それ以前は五條天神社や茨城県の酒列磯前神社、大洗磯前神社(いずれも御祭神がオオクニヌシとスクナビコナ)にお参りしていたようである。
御祭神は大己貴命・少彦名命創建は明治41年(1908年)、東京薬種貿易商同業組合、東京上野の五條天神社から薬祖神の御霊を迎え大祭を執行・昭和4年(1929年)には事務所建物の屋上に薬祖神社(初代社殿)が造営され、昭和58年には昭和薬貿ビル屋上に第二代目の社殿が造営されました。
平成28年(2016年)9月28日に現在地の福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座いたしました。
福徳神社から歩いて5分もかからないところに鎮座してます。
こじんまりして、とっても良い。
寄付の名前が凄い、ここは薬の街、賽銭箱の中身はどこへ?
COREDO室町内の福徳神社鎮守の杜に鎮座する医薬の神様を祀る神社『薬祖神社』さん。
ufeff五條天神社の分霊で、公益社団法人東京薬事協会の所有物であるので宗教法人ではない神社。
ufeffufeffコロナが終息しますように。
ufeffufeff●社名:薬祖神社ufeff●住所: 東京都中央区日本橋室町2-4-1ufeff●御祭神:ufeff・少彦名命(医薬の神と知られる国造の神)ufeff・神農大神(古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。
人々に医療と農耕の術を教えた神)ufeff●由来:ufeff・2016年9月、福徳神社の鎮守の森として、福徳の森が整備された際に、医薬の祖神として、江戸時代に薬問屋が軒を連ねた日本橋(東京薬種貿易商同業組合事務所屋上、のち昭和薬貿ビル屋上)にあった薬祖神社を移転勧進。
ufeffufeff●御朱印:なしufeff
五条天神社が兼務する製薬会社の崇敬神社。
製薬業界のビル屋上の屋敷神であったが、五条天神社より御分霊を賜り再開発で遷座。
広く一般にも開かれた神社となりました。
「薬」と書かれた紋章や凝った装飾の灯籠がかっこいいです。
製薬会社の篤い信仰を受けている神社です。
小さいながら綺麗に整備されていました。
日本橋室町にある神社です。
コレド室町2の北側にあり、中央通りからコレド室町1の北側を進めばすぐに朱色の鳥居が見えます。
といってもこちらではなく、その東側に広場を挟んでこじんまりとした社があります。
日本橋界隈には昔から薬問屋が軒を連ねていたそうで現在でも製薬メーカーのオフィスが多く見られます。
クルマの往来の多い中央通りからたった一本入った場所ですが、静かで植栽の緑が美しいです。
社がある「福徳の森」にははベンチがあり、都会のど真ん中で風を感じながら一息つくことができます。
後ろに待機する参拝者がいた 隣の広場ではランチを取るサラリーマンこんな時だからこそ世界的な疫病を鎮めて欲しい! かけまくも賢き薬祖神社の大神達。
日本橋の福徳神社のすぐそばの小さな神社です。
名前でわかるように、お薬の神社なので、著名な製薬会社の寄進がいっぱいです。
家族の健康祈願をしてきました。
薬祖神社。
東京メトロ銀座線、三越前駅からすぐ。
福徳神社からおよそ20m離れたところにあります。
鳥居に掲げられている神額が黒色で、遠目には揮毫(きごう)を読み取れませんでしたが、玉垣に刻まれている寄進者のお名前を拝見して、直ぐさま御祭神を感じ取ることができました。
そこには、「東京薬事協会」「薬祖神奉賛会」「太田胃散」「龍角散」「浅田飴」「大塚製薬」「田辺製薬」「小野薬品」などなどと、耳慣れた30数社の製薬会社が連ねているのです。
薬祖神社の御祭神は、大己貴命(おおなむじのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱で、御神徳は無病長寿や病気平癒などの健康増進です。
江戸時代になり、日本橋を中心とした町割りが進められたわけですが、日本橋の本町界隈には薬種問屋が多く点在していました。
少し考えてみますと、オランダ商館長が江戸参府のときに定宿としていた「長崎屋」ですが、長崎屋源右衛門の正業は薬種問屋でしたし、幕府の奥医師であった桂川甫周(ほしゅう)の屋敷も木挽町築地でしたから、この地域には医薬に通じる人達が多く、きっと、杉田玄白、前野良沢、大槻玄沢なども、足繁く往来していたに違いありません。
現在でも製薬会社が密集していることが、その左証となりましょうか。
大阪の道修(どしょう)町も同じような変遷を踏んでいますね。
世界的に見て、日本が長寿の国となっているのも、医師の「人を大切にする心」と「確かな医術」が功を奏しているのですが、一方で、製薬会社の弛まない研究開発や医療機器メーカーの先端技術も見逃せませんね。
とは言え、この薬祖神の御神徳に感謝する心も大切な気がいたします。
三越やコレド室町にお出掛けの時にでも、ご参拝をお勧めいたします。
「病は気から」とも申しますから、きっと清々しい気になれますよ。
薬祖神社の名が示す通り、薬の神様の神社です。
福徳の森の中にある、とっても小さな神社です。
森の中といっても、街の中にある公園です。
本物の森ではありません。
2016年に移転してきて完成した神社なので、まだピカピカです。
日本橋は昔から薬問屋が多く、今も製薬会社の本社等がたくさんある薬の街です。
薬の神様ですから、無病健康や病気平癒に御利益があるとも言われています。
「無病だったら薬の神様いらなくね?」と言ってた友人は、その数十分後に胃もたれしてドラックストアで薬を買ってました。
天罰だと思います。
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クスリ業界の皆さんが造営した神社です。
玉垣には名だたる医薬品メーカーが揃ってますね。
現在の社殿は三代目。
もとは別の場所にあったものが2016年に遷座してきたものです。
福徳神社の直ぐ脇に有りますが福徳神社の摂社では無いようです。
名前に薬が付くだけあり名だたる医薬品メーカーが参拝されていました。
コレド室町の裏にある福徳神社のお隣にこじんまりと鎮座しています。
お薬の神さまのようです。
名だたるお薬会社名が刻まれていました。
東京薬事協会の守り神「薬祖神社」。
医薬祖神である上野の五條天神社の分霊です。
長らく東京薬種貿易商同業組合事務所屋上、そして昭和薬貿ビル の屋上に鎮座しており、参拝には許可が必要でしたが、福徳の森ができた際にこちらへ遷座し、いつでも参拝できるようになりました。
福徳神社の境内社ではありません。
お薬屋さん儲かってまんな♪ 小さいけれど立派!!規模に対して受ける感じはドシンと重いです。
周辺には日本を代表する薬品メーカーが本社、営業所を構えている。
形式や由緒にとらわれない生きた信仰をビルの谷間で感じるようでもあった。
鋳金した金具に「薬」の文字が刻まれているこだわりも、そう思わせる要因でやろうか・・・今はまだ白木が美しい。
名前 |
薬祖神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
大巳貴命様、少名彦様私はこの二柱推しメンですが知らず知らずふと気になって手を合わせるとお二人の事が多くハッとするのですが~😲本日も知らず知らずでも惹かれるっと手を合わせるて帰りに看板見ると二柱やんけー!!爆上がり!祝詞奏上していると風がふわ~っと来ます。
皆様も是非奏上してみて🙏あと願い事言って良いんですって「そのために我等がおるんじゃ困ったらちゃんと相談するんじゃよ~」これが二柱のいつも言う事。
信じるか信じないかはあなたの自由ですから。