名前 |
堀兼の井 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
「ポンプの鉄管の穴がガードレール下に残っている」という情報があったが、現地では確認できなかった。
当該遺構は消失したと考えて良いと思われる。
ただ、神社正面の土地に機械的なポンプは確認できる。
開幕前後は、井戸の掘削技術が未熟で台地の下を掘っても地下水までたどり着かなかった。
また、位置を間違えると海水が出てしまう様な土地柄。
このため、井戸が中々作れなかった。
これもそれを示す端的な例だろう。
ちなみに、徳川幕府は、江戸の人口を支える分の飲み水を確保するため、神田上水や玉川上水の整備を行った。
すなわち、水路を掘ったり、地面に水道管(樋)を埋めたりして、江戸に飲み水を供給した。
特に、この辺りは神田上水の遺構も多いので、そちらも見学していくとまた感慨深いものがあると思う。