我が日本に渡来したのは四百二十余年前のことでありま...
昔々、ここに飴細工のオヤジが何時も居た、今は極少数の飴細工屋が時々TVで紹介されたり、中には店を構えているのも居るらしいが、全て煉飴をそのまま細工しついるが、昔々の飴細工は中空で詰まり空気を吹き込んで膨らましそれを細工するから、極薄なガラス細工のような飴だった。
注文すると何でも作ってくれた、喰うのが勿体なくて何時も家にもって帰り巻藁に刺して飾って置いた記憶がある。
そんな飴細工屋はもう存在しないのかな?めがね之碑に来ると必ず思い出す、昭和は遠くなった!
安らかに眠って欲しいu003e新八。
全国のメガネマン👓✨たちよここへ集え!
眼鏡がはるかに海を越え、我が日本に渡来したのは四百二十余年前のことであります。
文化の発達につれてめがねの需要も増大し、文化、政治、経済に貢献した役割は誠に大なるものがあります。
その間業界先覚者の研鑽努力により今日の発展をみるに至ったことを回想。
明治百年を記念してその功績を顕彰し慈眼大師ゆかりの地上野不忍池碑にこの碑を建立し感謝の念を新たにするものであります。
徳川家康が、使用してたというメガネのデザイン。
東京眼鏡懇話会により昭和43年に建立。
石碑のメガネのモチーフは徳川家康所蔵していたもの。
めがね愛用者は一度訪れるべき場所。
不忍池の弁天堂の近くにあります。
寛永寺清水観音堂の坂を下り、信号を渡り、不忍池弁天堂に向かう参道の右手にありました。
徳川家康が愛用した眼鏡がモチーフになっています。
黒御影石で昭和43年(1968年)制作だそうです。
弁天島にある。
400年以上前に渡来した眼鏡が、文化 政治 経済発展に貢献した事に感謝し、この碑を建立したとの事。
運転する時だけだが、眼鏡をかける身だから行ってきた。
秋のある日のめがねの碑。
今日はいい日でした。
石碑のみです。
他にも供養塔が多数あります。
毎年、4月10日の「眼鏡供養の日」付近に、この上野恩賜公園では眼鏡供養祭が行われています。
「めがね之碑」は、メガネの恩恵と先覚者への感謝を込めて建てられたもの。
碑文によれば、メガネの渡来は碑が建てられた1968年時点から420年前。
キリスト教伝来と同時期頃、布教のため日本を訪れたフランシスコ・ザビエルら宣教師によって、メガネ文化も日本に伝えられたと考えられています。
ちなみに碑にかたどられているのは、徳川家康が愛用していたメガネなんだそうです。
名前 |
めがね之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
とてもわかり易いデザインをした碑です。
徳川家康の使用していた眼鏡をデザインしたものだそうです。