お社ほか、絶妙な配置がなされているバランス感覚。
根津神社の表参道を進み、神橋を渡って最初に見える建物が「楼門」である。
この楼門は江戸時代に建てられたもので、門の正面右側にある随身(門の左右に安置されている守護神)は、水戸黄門で有名な水戸光圀がモデルとなったといわれている。
江戸時代に造られた楼門が現存しているのは、都内で根津神社だけなのである。
電車で行くのならば、東京メトロ南北線・東大前駅の出口1から歩いて5分強くらい、東京メトロ千代田線・根津駅の出口2、もしくは、千駄木駅から歩いて5分強くらい、都営地下鉄三田線・白山駅のA2出口から歩いて10分強くらいの、東京大学の北側に位置する神社で、東京十社のうちの一社である。
今から1900年以上も昔に、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社であり、須佐之男命が祀られている。
江戸時代になると、五代将軍・徳川綱吉公が、天下普請と言われる大造営で現在の社殿を奉建し、千駄木の旧社地より遷座したといわれている。
権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。
古くから「根津権現」と呼ばれ親しまれてきたが、この呼称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退してしまったが、地元では現在でも使われ、今でもそのように呼ぶ人々も多いとのことである。
近くに住居を構えていた森鴎外や夏目漱石など、日本を代表する文豪や落語家など数々の著名人にも愛され、その作品や噺などにも「根津権現」として登場してきた、文化人に愛された神社として有名である。
また、「文京つつじまつり」の会場としても知られており、毎年4月中旬頃になると、境内にある約2000坪のつつじ苑には、約100種3000株のツツジがこれでもかと言わんばかりに咲き誇り、甘酒茶屋、植木市、露店等もたくさん並び大勢の人で賑わう、春の東京を代表するツツジの名所として有名である。
拝殿 幣殿 本殿 透堀 唐門 西門 銅灯篭 とともに国指定重要文化財きらびやかで美しい入母屋瓦葺屋根 楼門 で随神門(右大臣左大臣)[ 彩色彫刻など]写真3枚目 鬼瓦と 金の猪目懸魚写真4枚目 美しい彩色 組物写真 5枚目から 写真14カラフルな 花 蟇股( ボタン 菊 桃 水仙など)
根津神社「楼門」。
建造は江戸時代、都内では最古の楼門です。
門の中、右側の随身像は、水戸光圀公(水戸黄門)がモデルだと言い伝えられています。
国指定重要文化財です。
楼門手前の小川に架かる橋は「神橋」。
根津神社は旧江戸城の真北を守る結界の役目を果たしていたと言われ、神橋から楼門までのエリアは特に強力なパワースポットだそう。
米田さん、久しぶりです。
お茶ありがとうございます。
さつき弥生は桂むつめみと、草間さん、三月さん、やよい軒永など友人でした。
少しここで、役にたつよう弥生について書いてみます。
根津神社境内に佇んでいます。
そこまで大きくはありませんが、芸術的な造りをしています。
小ぶりだったが立派な楼門だ! 雰囲気が出ている。
しっかりした佇まいでとても良い。
色々な災害を越えて現存する素晴らしさがあります。
ちなみに、重要文化財に指定されてます。
枯山水を想起させるコンパクトな境内に、お社ほか、絶妙な配置がなされているバランス感覚。
楼門は、まず、目立ちますよねぇ。
国の重要指定文化財です。
宝永3年1706年建立。
社殿等の他、楼門も現在でも欠ける事なく、現存している貴重な門で右側の随身は水戸光圀がモデルと伝わるそうです。
裏側には何もない。
元々なかったのか、撤去されたのか。
イラストレーターつちもちしんじさんの作品集「東京下町百景」の表紙にとりあげられてます。
谷根千の他、様々な下町風情を感じられる土地のイラストを描いてらっしゃいます。
重要文化財の楼門の正面右側の随身は水戸光圀がモデルと言い伝えられている。
奥が本殿で、宝永二年に五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納。
天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し国の重要文化財に指定されている。
根津神社の中でひときわ存在感のある桜門。
園児が遠足に来てたり、写生をしている人がいたり、近くに腰かけて結構な時間カラフルな門を眺めていた。
大きくて立派な門です。
拝殿前にある立派な門です。
名前 |
根津神社 楼門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
立派な楼門で、紅葉がとても合います。