ニューオータニの敷地の隅の方にあった。
近江彦根藩井伊家屋敷跡 / / .
関ヶ原の戦い後から16代にわたって明治維新まで続いた近江彦根藩の藩主家 井伊家の中屋敷があった場所です。
今は痕跡らしきものは、何も残っていないようです。
井伊家は譜代大名筆頭で、江戸時代を通じて5代6度もの大老職を輩出する名家で、幕末の井伊直弼は特に有名です。
ホテルニューオータニ入口の脇道、日本庭園の途中に案内板が立ってます。
今は面影はないですが、この一帯は大名屋敷が多かったそうです。
ニューオータニ日本庭園に上智大学側から入るとっそりと碑が立っています。
日本庭園を散策しながら歴史を感じるのも良いでしょう。
ホテルニューオータニの一帯は、彦根藩井伊家の屋敷であった。
徳川御三家の尾張と紀伊に挟まれて、譜代大名筆頭彦根藩井伊家の中屋敷があったそうです。
もっと目立つ場所に石碑を建ててやれよと、歴史好きとしては思います。
静かで緑に囲まれていました。
ホテルニューオータニメイン側の横です。
ニューオータニの敷地内の端っこにある感じ。
ごくコンパクトなスペースに、石碑と案内看板が立っているだけである。
ホテルに用のないひとも通れる細道なので、生活している人はいまさら紀尾井町の「井」の由来であることなんか気にするはずもなく、どんどん通り過ぎていく。
ニューオータニの敷地の隅の方にあった。
説明板には下のように書かれている。
この地には、江戸時代に近江彦根藩井伊家の麹町邸があり、井伊家は外桜田にあった永田町邸(国会前庭一帯)を上屋敷として使用していましたので、ここは中屋敷として使われました。
井伊家は、武勇の誉れが高い家柄で、藩祖直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康の軍奉行として活躍しました。
慶長5年(1600)近江佐和山に18万石で封ぜられ、慶長9年(1604)直政の子直勝の時代に彦根藩主となり近江国等を領地とし、以後、16代にわたって明治維新まで続きました。
石高はほぼ35万石でした井伊直弼は、特に有名です。
明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。
「紀尾井町」の「井」の由来である近江彦根藩井伊家屋敷跡の石碑です。
ニューオータニ正面玄関から歩いてすぐの曲がり角に建てられています。
井伊家屋敷の跡地。
名前 |
近江彦根藩井伊家屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
紀尾井町は紀伊、尾張徳川家と彦根井伊家の藩邸があったので紀尾井町と名付けられたそうです。
井伊家の跡はホテルニューオータニの一部になっています。