江戸山手七福神の1つになっていた。
三福の名のごとく元祖山手七福神の恵比須様をはじめとした大黒天、弁財天を合わせて祀るお堂です。
目黒不動尊の境内のはずれにあります。
小さな池の奥にお稲荷さんとともに祀られています。
お堂の近くには銭洗いができる湧水があり、5円玉とともにお金を洗うと金運のご利益があるそうです。
恵比須様の御朱印は目黒不動尊で頂けます。
紅葉🍁が本当に美しい。
池と赤い⛩️と、赤い橋のコントラストが情緒があり、素晴らしい。
のんびりしたくなる気分になります。
江戸山手七福神のひとつ、恵比寿神を祀る札所。
目黒不動と一緒に必ずお参りします。
江戸山手七福神のひとつです。
池が素敵です。
目黒不動のバス停の横にある、お堂です。
銭洗いが、とてもご利益があります。
恵比寿神とあったが小さいので有名ではないだろうと思っていたら、江戸山手七福神の1つになっていた。
近くには七つの子作曲の本居長世の碑、新聞印刷に貢献した野村宗十郎の像もあった。
三位一体?なお得感のあるところ。
温泉チックな銭洗いは、5円玉必須で。
瀧泉寺寺務所で御朱印頂けます。
瀧泉寺境内三福神堂の須弥壇上の厨子に弁才天像が安置され、その前方に十五童子像が配されています。
弁才天は、43.8センチメートル、ひのき材の寄木造です。
弁才天の表面は当初は彩色が施されていましたが、現在では黒漆塗りで、着衣部に金泥で模様が描かれています。
構造に正統の仏師の技法が見られ、写実的な表現がみられることなどから、制作年代は南北朝時代、14世紀前半頃と推測されます。
十五童子は像の高さ12.9センチメートルから22.2センチメートル、ひのき材の一木造で14体の立像と1体の坐像からなっています。
小さな像とは思えない生彩ある表現から、弁才天像と同時に一体のものとして制作されたと見られます。
表面は、弁才天と同様、現在は黒色の仕上げとなっています。
14世紀前半に一体のものとして造られた弁才天と十五童子が、完全に揃った形で残っています。
目黒不動尊の仁王門の手間に小ぶりの赤い鳥居と橋があり、元祖山手七福神札所があります。
三福堂の祭神は恵比寿神を筆頭に、弁財天、大黒天らしいのですが、三福堂の前にはふくよかな笑顔の恵比寿様がいらっしゃいました。
(柵がかかってましたが)お金を洗う福銭洗い「金明湧水」があり、お参りのあと五円玉を洗うと良いご縁に導かれるそうです。
両脇には豊川稲荷さん、福壽稲荷さんがいて、後ろの小さな池は桜の時期だったので良く咲いていました。
桜が綺麗です 平日は閉まっていますが お不動さんの縁日の時は開いています。
参拝のしおりの、江戸名所図会〔天保7年_1836年〕の絵では、こちらのお堂は弁天《図会にピンクの丸印で示しました》となっています。
少し前に,大黒天《堂内の大きな大黒天?は信者の方から、という話を以前,聞きました》、そして最近,本堂脇《図会の象牙色の丸印》からの,恵比寿〔えびす〕神と大黒天が合祀されるまでは、(知る人ぞ知る、霊験あらたかな)弁天様・弁天堂として親しまれてきました。
弁天、恵比寿、大黒 の三柱の福神が祀られる様になったことから、三福堂と呼ぶ様です。
《〔江戸最初〕山手七福神の御朱印は、恵比寿神です。
弁天様の御朱印は、岩屋弁天が祀られている蟠龍寺さんです。
》
小さいが雰囲気のある神様。
江戸最初恵比寿様のようです。
思っていたより小ぶりでしたが、年代を感じる恵比寿様がどっしりおられました・・・。
そして、隣には、豊川稲荷もありました。
ちなみに、近くに、印刷活字に貢献した野村宗十郎銅像もあり、瀧泉寺は見所満載です。
恵比寿様を祀った神社です。
池がありましは。
都内最古の七福神巡りの恵比寿様(*^^*)お参りした後に是非お金を洗って厄落とししてくださいね。
赤い川を渡る短い橋が見えた。
前だけ通った。
名前 |
瀧泉寺三福堂 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.1 |
瀧泉寺山門を潜る手前左に少し進むと朱い鳥居があります。
山手七福神の恵比寿神を祀っています。
池もあり祠は小さいながら風情があります。
御朱印も瀧泉寺で頂くことが出来ます。