2021.1.1.参拝村の鎮守様と云った趣のある神...
地元に根付いた神社です。
恒例の祭事もやっているようです。
御神輿もあるようです。
高津比咩(ヒメ)神社の由緒高津比咩神社は、明応元年(1492)9月に創建、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
社号の「高津比咩」は、藤原時平の息女とされ、二宮神社の「下総三山の七年祭り」に「娘」役として参列します。
昭和26年に子ノ神社・浅間神社・妙見神社・高秀霊神社を合併、飛地境内の社としています。
「八千代市史」による高津比咩神社の由緒文久3年(1863年)、時の住職が記した『高津観音堂本尊縁起』に以下のようにある。
平安前期、菅原道真を追放した祟りで亡くなった藤原時平の妻と第五息女高津姫は、東下りをして下総の久々田に漂流した時、舟が石となった。
姫は三山から当地に落ち着き、花の洛の昔を偲び亡父を慕いながら当地で一生を終えた。
彼女が守り本尊としていたのが十一面観世音菩薩で、高津観音寺に安置された。
高津姫は高津比咩神社に祀られ、当地の産神様となった。
そうです。
2023/8/31参拝本日、三度目の参拝、宮司さんが清掃にいらっしゃいました。
謂れをご説明頂き、拝殿内部の扁額に高津比咩神社と書かれた右隣の壁面に女性の顔と思しき白っぽいお顔(?)しかも、2つ浮かび上がっていますと説明がありました。
拝殿内部の撮影するも、全然気づきませんでしたが、宮司さんから説明があり、確かに、白い影みたいものが、浮かんできます。
白っぽいお顔が二つ並んでいます。
「二つのお顔は、御祭神の姉神です」と言われた方がいた、と。
すなわち、多岐都比賣命が下総國の片隅で健気に頑張っている。
それを気にかけた姉神ふたりが寄り添っている、との説明があり、なるほど、そういうものかと、言われてみれば、そのように見えますね。
写真アッブしましたので、ご確認ください。
合掌2023/9/10再々来訪。
ナビ通りで到着🚙💨 ですが 駐車場🅿が見当たらず 路駐しての参拝に😅 スミマセン🙇 こじんまりした小さな神社⛩️でしたが 何故か 初めて行ったのに落ち着いた感があり 気に入りました🤗 本殿 左側に社務所があり 宮司サン不在でしたが 電話番号の書かれたメモ📝がありましたから 連絡すれば来て頂けるかと思います😊 今回は参拝だけで帰路にしました。
また 参拝に行って 御朱印頂きに伺いたいと思います🌟
八千代市の神社散歩で参拝させて頂きました。
拝殿からは雅楽の音色が聴こえ、気持ちが落ち着きました。
御朱印を頂き有難かったです。
また次の季節に訪れたいです。
社号を高津比咩(たかつひめ)神社と号し、多岐都比賣命・大己貴命・木花開耶姫命・北斗北辰・間宮庄五郎源高秀の五柱を御祭神とする神社で、明応元(1492)年9月の創建とされます。
当神社に伝承される『高津のハツカビシャ』は、天候の順調、平穏な作柄を祈願し、年頭から春先にかけて行われる農耕儀礼の行事『オビシャ』であり、毎年1月20日に行われてることから『ハツカビシャ』と呼ばれ、八千代市の無形民俗文化財に指定される神事です。
下記の境内社が鎮座します。
・八坂神社(創建:宝永2(1705)年/御祭神:素盞雄命)・八坂神社(創建:文政12(1829)年/御祭神:素盞雄命)・金比羅神社(創建:安政6(1859)年/御祭神:金山彦命)・稲荷神社(創建:元禄7(1694)年/御祭神:保食命)・天満宮/御嶽神社/三峯神社/古峯神社/阿留来哉大神隣接する高津山観音寺とセットで参拝(詣)しました。
付近にある「観音寺」に向かう途中、拝殿から雅楽が聞こえてきたので思わず立ち寄らせていただきました(^^)小さな境内ながら、歴史と風格を感じさせる神社でした。
御祭神は多岐都比賣命のほか、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)、木花開耶姫命、北斗北辰、間宮庄五郎源高秀・・・間宮高秀??ということで調べました ↓↓↓≪間宮庄五郎源高秀≫旗本で高津の領主、高秀は大坂夏の陣で真田幸村の陣を攻めて戦死した。
のちに「高秀霊神」という神として祀られた。
雅楽が流れる神社。
天岩戸開き、司馬温公の瓶割り、養老の滝をモチーフにした彫刻がありますが、筋交があるために見にくいです。
養老の滝に関しては、肝心な滝の水を受けているところが隠れてしまっています。
ちょっとわかりにくいところにあります。
とても小さな神社ですが、雰囲気がいいです。
2021.1.1.参拝村の鎮守様と云った趣のある神社。
三が日は宮司さんもいらして、御朱印も丁寧に浄書して頂いた。
創立は明応元年(1492年)9月ご祭神は多岐都比賣命・大己貴命・木花開耶姫命下総三山の七年祭りに参加する一社(娘)創建の話の一つに平安前期、菅原道真を追放した祟りで亡くなった藤原時平の妻と第五息女高津姫は、下総の久々田に漂流した時、舟が石となった。
姫は三山から当地に落ち着き、花の洛の昔を偲び亡父を慕いながら当地で一生を終えた。
彼女が守り本尊としていたのが十一面観世音菩薩で、高津観音寺に安置された。
高津姫は高津比咩神社に祀られ、当地の産神様となった。
とあります。
入口こそ狭いですが綺麗に整備されており大事に伝えられてきたことが伺えます。
駐車場はわからず脇の窪みに駐車させていただきました。
地域の方の信仰を感じる素敵神社です⛩人の想いや五穀豊穣、祈りの力は神社が綺麗に整理されていることからも感じます。
ここに来ると気持ちが落ち着きます。
常に雅楽が流れる厳かな雰囲気で凄く癒されました。
御朱印はお正月等しか貰えないとのことでした。
県道269から高津団地方面に入った所に鎮座、入口に神社の案内表示あリます。
令和2年10月3日にお詣りしました。
駐車場:有ります。
鳥居の向い側に10台停められます。
八千代八福神めぐりのひとつ、『高津山観音寺』布袋尊さんがおられるお寺の坂の上に鎮座します。
車で行かれる場合、神社の前の駐車場も良いですが、お寺に停めてお参りしてから神社に坂を登ることをお薦めします。
お寺までは、道が広く、駐車場も広いです。
神社の駐車場に停める場合、少し狭い道を通ります。
境内では、雅楽が流れていて、ゆったりとお詣りできます。
7年祭の神社巡りで行きました。
なかなかたどり着けない神社でした。
ナビが正しくなかった。
駐車場か出来ていてお参りさせていただき易くなりました。
祭神の「高津比咩」がなんだか分からず、ネットで調べていくと、すぐ隣の高津観音寺に、文久3(1863)年に住職が記した「高津観音堂本尊縁起」が残っているという。
このサイトを信じるなら、高津比咩は藤原時平の五女であるお姫様である。
ただし、ネット記載者がリライトしているものであり、原文がわからないから、以下の記述の信頼性は当方には保証できない。
「平安前期、菅原道真を追放した祟りで亡くなった藤原時平の妻と第五息女高津姫は、東下りをして下総の久々田に漂流した時、舟が石となった。
/姫は三山から当地に落ち着き、花の洛の昔を偲び亡父を慕いながら当地で一生を終えた。
彼女が守り本尊としていたのが十一面観世音菩薩で、高津観音寺に安置された。
/高津姫は高津比咩神社に祀られ、当地の産神様となった。
」この近郷には、時平にまつわる伝説があるようだ。
「時平神社」は、当方の知る限りで3社ある。
藤原時平は、現代人にはあまり馴染みがないかも知れないが、江戸時代の庶民にとっては、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の中で、神格化された菅原道真を、讒言によって朝廷で追い落とした悪役として、常識化していた。
敵役とはいえ、庶民の想像を絶する世界に生きる雲上人でもあり、霊的な性格が与えられている。
そんな偉い人の娘が、どうして下総くんだりまで落ちてくるのかわからないが、ともあれ彼女は「多岐都比売命(タギツヒメノミコト)」と同一視されたりもしたから、貴種流離譚が大好きだった当時の庶民は、その子を憐れむ意味で、神社に祀ったのかも知れない。
こじんまりしてますが、参拝者がわりと来てます。
歴史のある神社です。
初詣で参拝させて頂きました。
普段は閑散としている小さな神社ですが、歴史があるようです。
お正月3日に参拝しました。
2年越しくらいでやっと御朱印を頂けました。
小ぢんまりしてますがいい雰囲気の神社です。
鳥居をくぐろうとしたらスズメバチ(?)の羽音がしたような…( ; ゚Д゚)静かで良い神社です。
駐車場🅿️有りです。
村の鎮守の神様 地元住民に大切に護られてきた温かみ有るお社。
下総三山の七年祭り参加社 役割(娘)
参拝者多いですが、御朱印頂けませんでした。
地元のパワースポットです。
大きな看板が出ているので迷う事はないと思います。
非常にこじんまりとした神社です。
名前 |
高津比咩神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
047-459-8969 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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素敵な宮司さんのいらっしゃる神社でした。