武田晴信が敗れた事で有名な戦場跡。
武田晴信と村上義清が戦い、武田晴信が敗れた事で有名な戦場跡。
神社境内に上田原古戦場碑がある。
情緒のある場所です 高台になっているので景色は良いかと。
夜はやめたほうがいい。
駐車場が狭いので、停めれないかもしれません。
私が川辺小学校に通っていた頃、こちらの場所の前を運動会の長距離走で走ったかもしれません。
諏訪・佐久地方をほぼ平定し、北信濃進出をめざす武田晴信(信玄公)は、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え小県郡に攻め込みました。
東信濃の勇将・村上義清は葛尾城(かつらおじょう・坂城町)を出陣し、両軍は千曲川に接する上田原で激突した。
この合戦は、村上、武田両軍合わせて戦死者は約4千人あるいは6千人ともいわれ、武田軍の板垣信方(いたがきのぶかた)、甘利虎泰(あまりとらやす)ら重臣が討ち死に、晴信も傷を負っています。
井上靖の小説『風林火山』では、武田軍の勝利--として描かれていますが、甲斐の記録『妙法寺記』に「甲州人数打劣テ」と記されたように、史実では地の利を得た村上軍によって無敵といわれた武田軍が初めて大敗を喫した負け戦でした。
激戦となった一帯は、県営球場を中心に古戦場公園が整備され、近隣には板垣信方の墓や村上方重臣らの墓が建っている。
また、物見山・合図山・兵糧山・御陣ヶ原・味方原など布陣にまつわる地名が今も残されている。
月に一回はお参り行きます。
何もない場所です。
名前 |
上田原古戦場の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
隠れた桜の名所?我が家から徒歩数分の場所にあるこちら。
赤い鳥居をくぐって、独り占めの桜。
1年に1度だけです、行くの、はい。