物部(もののふ)の 八十(やそ)少女(おとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井(てらい)の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集 巻十九 4143)
中ナヤジャ(原文)中納言家持。
歌を棄てた歌仙万葉集の編纂に携わり、全4516首の大トリを務めた大歌人にして高岡市のゆるキャラでもある家持くん。
746年、29歳で越中守に赴任し高岡で暮らした5年の間に223首の和歌を残す。
大伴氏は元来武門の家柄にして家持の時代は常に非主流派だったため、都に戻っては事件や粛清に巻き込まれ地方への左遷を繰り返すという、歌人のイメージとは程遠い波乱の人生を送る。
赴任した国は越中、摂津、因幡、薩摩、大宰府、陸奥。
これらと都の官職を行ったり来たりというたらい回し感…これがとんでもない不幸なのか、様々な場所で歌境を深め天寿を全うできた幸運だったのかはよく分からないが…新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事まるで子供のような晴れがましさで吉事が沢山ありますようにとは、決してそうはならないであろう身の上への皮肉、あるいは安穏とした自分への決別か。
この万葉集最後の歌を因幡で詠んでのち亡くなるまでの26年間、家持が詠んだとされる歌は1首も伝わっていない。
名前 |
大伴家持像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
高岡のすごい人。