地名「敦賀」の由来ともなった角鹿神社。
気比神宮の駐車場近くにあります。
祭神 都怒我阿羅斯等命 敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名によるものです。
敦賀駅からタクシー運転手氏に「気比神宮に」とお願いしたところ、東の駐車場へ。
そしてまずお参りしてくださいと勧められたお宮がこちら。
由来どころか読み方も分からないでいると「こちらがツルガの地名の元になったツヌガ神社です」と教えていただき、とてもありがたく感じた次第です。
祭神の都怒我阿羅斯等命は任那の皇子で「角がある人」が訛ったもの。
意富加羅国から来た蘇那曷叱知と同一とする見方がありソナカリは冠・帽子、シチは貴人の意味。
この場合、角がある人とは身体的特徴ではなく貴人を意味する言葉となる。
古代に角を貴人、指導者の証とする文化、宗教の伝播があった。
因みにソナカは息長であり息長氏と同族と考えられる。
息長氏の子である応神天皇は気比の祭神であるイザサ別命と名の交換をしたと記紀に記され、これは同神である事を意味する。
イザサ別命は天日矛の象徴であるイザサ大刀が神格化したものである。
都怒我阿羅斯等命つぬがあらしとのみことをお祀りする神社神様凄い名前ですね。
氣比神宮の裏手駐車場近くにあったので寄ってみました。
横手にあるスダジイの巨木が迫力あり、一見の価値ありです!
令和元年9月22日参拝。
地名「敦賀」の由来ともなった角鹿神社。
御祭神の都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)。
「敦賀(つるが)」の地名は当地を「角鹿(つぬが)」と称したことが始まり。
嘉永4年(1851)改築。
唯一戦災を免れた氣比神宮の境内社。
台風災害の倒木がありました。
2017.09.19.(火)13:00 2回参拝 (奈良斑鳩人)気比神宮境内の東の端に 三社が鎮座する中の 一番大きく右端の社が コノ角鹿神社(ツヌガジンシャ)です御祭神は 都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)で社殿の拝殿は 室町時代後期の1592年に建立され その後1702年 1823年 1851年と改築されたと有りますまた1878年(M.10)には 境内で第一摂社になったトノ事ですなお社殿の建築様式は 本殿流造銅板葺拝殿で 白い壁に柱型が鮮やかな朱色で 濃緑の格子建具と 屋根の緑青との取り合わせが良く 格式と落ち着きの有る設計で トテモ美しい社殿でした。
”古代の息吹”角鹿郡司角鹿直綱手の古代住所は江祥里。
江祥里⇒与祥(和名抄931~938年)⇒与祥(善妙寺古文書1558年)⇒余座気比宮社記・敦賀志とも日本書紀「崇神天皇六十五年秋・任那国蘇那カ叱知、一に曰く崇神天皇の世・額に角有いたるツムガアラヒト」を祀るとする。
加えて社記は政所神として角鹿氏は後裔とする。
わが町敦賀の古代はこの”角鹿直綱手”の息吹からはじまる。
式内社 越前国敦賀郡 角鹿神社御祭神:都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしと) 松尾大神 気比神宮の摂社・角鹿(つぬが) 神社。
「敦賀」という地名の発祥となった。
崇神天皇の御代、任那の王子の都怒我阿羅斯等が氣比の浦に上陸し貢物を奉る。
天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を委せらる。
その政所の跡に此の命を祀ったという。
天保10年(1839)に松尾大神を合祀。
名前 |
角鹿神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0770-22-0794 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
町の名前の由来ですな🎵