歌道でも有名で歌集もある文武に秀でた武将です。
以前は無賃乗車のキセルする事を「薩摩守」とも言いました。
タダ乗り、薩摩守忠度公に託けてです。
文武に優れた人物であったとされる忠度公も草葉の陰で苦笑されている事でしょう。
平清盛の末弟の薩摩守忠度は、豪勇で知られ、歌道でも有名で歌集もある文武に秀でた武将です。
一の谷合戦の際、西門一の谷を守り、土肥実平(どひさねひら)軍をよく防ぎましたが、敗れて逃げる途中、岡部六弥太忠澄(ただずみ)と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に後ろから右腕を切り落とされ、ついに静かに念仏して忠澄に討たれました。
以前はこの地に塚があったようですが、大正6年に野田協議会により石碑が建てられ敷地が整備されました。
ここから東に約300m離れた駒ケ林4丁目には、平成10年度に地域文化財に認定された、平忠度塚(腕塚)があります。
武勇にして優れた歌人の平忠度が静かに眠る墓所。
能「忠度」のその人。
平清盛の末弟の薩摩守忠度は、豪勇で知られ、歌道でも有名で歌集もある文武に秀でた武将です。
一の谷合戦の際、西門一の谷を守り、土肥実平(どひさねひら)軍をよく防ぎましたが、敗れて逃げる途中、岡部六弥太忠澄(ただずみ)と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に後ろから右腕を切り落とされ、ついに静かに念仏して忠澄に討たれました。
以前はこの地に塚があったようですが、大正6年に野田協議会により石碑が建てられ敷地が整備されました。
ここから東に約300m離れた駒ケ林4丁目には、平成10年度に地域文化財に認定された、平忠度塚(腕塚)があります。
名前 |
平忠度胴塚 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
■平忠度胴塚神戸長田に在る石碑。塚は高さ2m程の石柱。敷地は狭いが全体を屋根で覆われいる。ベンチや手水石と案内板も在る。●平忠度(たいらのただのり)は清盛の26歳下の異母兄弟。享年41。一ノ谷で討たれた際は「文武に優れた人物と」と敵味方に惜しまれたと言う。道沿いから見えて行来し易いようだ。日常手入れは行き届いていると見える。ベンチに腰掛けて雨宿りも気軽に出来るようだ。此処から東へ300m辺りに「平忠度腕塚」、明石には「平忠度塚」が在る。写真も載せる。