名前 |
松平康俊墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
月窟廟(築山御前墓所)とセットでお墓参りするのがオススメ!松平 康俊 1552年(天文21年) - 1586年5月20日(天正14年4月2日)は、戦国時代の武将。
久松俊勝の三男。
母は水野忠政の娘・伝通院(於大の方)。
徳川家康の異父弟に当たる。
松平康元の弟で松平定勝の兄。
異母兄に久松信俊がいる。
名は勝俊とも呼ばれる。
永禄6年(1563年)、家康の命により今川氏真の人質として駿河国に赴く。
同11年武田信玄の侵攻を受けて甲斐国に送られた。
元亀元年(1570年)冬、家康の手配で甲斐から逃れたが、両足の指を凍傷で失ってしまったという。
天正11年(1583年)に駿河国の久能城を与えられたが、同14年に死去した。
享年35。
その死後、娘婿として水野忠分の子・松平勝政が迎えられている。
勝政は駿府城番で8,000石、子の勝義は下総国多古8,000石を与えられた。
子孫は多古藩主および旗本となっている。