静かで建具等が磨かれてとてもキレイでした。
小さな神社ですが、とにかく神気が満ちてます。
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とにかく、蚊が多いので気をつけて。
二三ヶ所じゃ済まない時も。
静かで建具等が磨かれてとてもキレイでした。
乱に敗れた大友皇子がこの地に住んだため大友という地名がついたとか、屋敷跡や御陵まであったとなると、実在が感じられます。
持統天皇が退位後、三河に行幸したのも、確かめたかったのかもしれませんね。
●大友神明社御祭神:天照皇大神、大友皇子、保食神、猿田彦神、建御名方神鎮座地:岡崎市東大友町字堀所由緒 「この東大友町は往古入海に沿ひたる処にして壬申の乱(西暦六七三年)大津の軍利あらず。
時に大友皇子御舟にて南海を巡りひそかに伊勢の神宮に詣で御玉串を請け更に進んで三河国碧海湾に到り沿岸の地に駐り給ふ。
村人相謀り王子の為に館を竹林の中に造りて皇子を住ましめ奉る。
今に其処を丸藪と言へり。
皇子祠を建て天照皇大神を祀る。
当神明社これなり。
かくて皇子の御遺跡たるを以って村人此の地を大友と称ふるに至る。
後村人等祠を建て大友皇子を祀り大友神社と称す。
然るに宝暦二年(一七五三年)五月矢作川氾濫し北野切の災に遭ひ。
祠流失明治十二年(一八八〇年)九月再建す。
当社は明治九年一月村社に列し明治四十一年十月七日無格社大友神社を合祀昭和十二年十二月八日境内社なる稲荷社。
社口社。
諏訪社の三社を合祀す。
昭和二十八年七月十八日宗教法人となる。
昭和三十四年九月の伊勢湾台風により大松が倒れ社殿が倒壊。
氏子の献身的努力により昭和四十年十月二十一日立派に竣工し現在に至る。
」その社殿の北東50mのところに「大友皇子丸藪之館跡」があり大友皇子の記念碑があります。
このように大友皇子は愛知県岡崎市に落ち延びたという説は非常に面白く、詳細は衣川真澄著「古代の謎 抹殺された史実」_に書かれています。
また大友皇子は神奈川県伊勢崎市や千葉県君津市にもその伝説は伝わっており、真実はいまだに謎です。
名前 |
神明社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
ごく普通の神社です。