「昭和塾堂」という建物だそうです。
今は閉鎖されており、廃墟の一歩手前状態です。
正面玄関口の両側の壁に照明器具を外した穴がありました。
傷まないように何処かに保管されているのでしょうか、それとも既に喪われてしまったのでしょうか。
再び何らかの形で、出来れば公共性の高い施設として活用されることを願ってやみません。
城山八幡宮の一角にある昭和塾堂は、末森城の二の丸に当たる部分に建っている昭和戦前期の教育施設である。
1928年(昭和3年)に建てられた非常に趣のある建物。
2005年(平成17年)には「愛知県の近代化遺産」への登載、2014年(平成26年)には国立近現代建築資料館にも登録され、「我が国の近現代建築発展の足跡を示す貴重な、次世代へ継承されるべき文化的価値の高いもの」と評価されている。
先人が思いを込めて造った立派な施設が現在では立ち入り禁止に城山天満宮の隣りにありロケーションも良いので整備し有効活用したほうが良いと思いました。
耐震含めお金かかると思いますが。
史跡もほったらかしにしておくと廃墟となってしまいます。
ここは史跡と廃墟の中間あたりみたいな気がしました。
廃墟マニアがたやすく侵入できそうな気がします。
ガラスを破って不審者が侵入して火気を取り扱って火災でも発生したら取返しつかないですしね。
2020.02.23訪問大正から昭和初期に、青年会(青年団)の活動が各地で盛んとなり、愛知県がその教化の中心となる精神修養の場として、昭和4(1929)年3月(工期約1年)、建設した。
建築後は、男女青年団の幹部や指導者の養成が3日から10日の合宿により実施、その他に婦人会、修養団体等の利用が相次。
戦時中は、陸軍(いかり部隊)や東海軍司令部として、戦後は名古屋大学医学部基礎医学系諸教室や、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として利用されていた。
現在は廃墟の状態で保管?何処が不明で有る。
末森城に来たのですが、崖下に得体のしれない物凄い雰囲気のある廃墟が。
内部の写真もあるって事は中に入れるんだね。
知らないと近づきたくないくらいのクラスです。
愛知県の近代化遺産。
昭和3年、城山八幡宮から境内を借り受けた愛知県が建設。
名古屋市庁舎、愛知県庁舎に先駆けた近代建築物とされている。
軍国主義教育の施設とする声はあるが、軍に接収されたこと、戦後に起きた社会教育施設として活用しようとする運動から、そうしたものではないことが察せられる。
人作りの殿堂として建てられたことは、広く高い空間の使い方、採光のとりかた、格調高くも親和的な装飾など、随所から感じとれる。
昭和に建てられた公立の社会教育施設として、唯一現存することでも貴重な建物。
内観や歴史については、城山八幡宮のウェブサイトが詳しい。
【公開】2019年3月9日(土)「やまのてオペラ」プレ公演につき公開。
主催「ちくさ・文化の里づくりの会」。
建物の傷みと要免震工事のため、存続がさだかでなく、日頃は立ち入れない。
【交通】地下鉄「本山」駅から徒歩8分。
1番出口から、大通りを左手に西へ。
2つ目の信号を右へ。
つきあたりに、八幡宮への階段がある。
のぼって左手。
予備知識なくたまたま通りかかったのですが独特の尖塔が目を引く素晴らしい建築物です。
内覧された方の写真が掲載されていますが床のタイルや階段のゆるやかなカーブなど内装も美しい。
このまま時代物のロケに使えそうです。
人数、期間限定でいいので定期的に公開していただきたいです。
道路から遠目に見えて気になったので、フラッと近くまで行きました!立派ですが、廃墟感もあってとても好きです。
補修して公開してほしいような、このままでいいような......。
名前 |
旧昭和塾堂 |
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ジャンル |
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住所 |
〒464-0045 愛知県名古屋市千種区城山町3丁目12−2 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
末森城跡を観に行った時に見つけた廃墟です。
末森城の二の丸🏯跡に建てられ、数年前まで使用されていたようです。