日本最初外国蚕飼育旧跡 / / .
三宅安兵衛の碑。
【京田辺市観光協会HP】多々羅には百済からの帰化人たちが豪族の奴理能美(ぬりのみ)を中心に住み、養蚕と絹生産を営んでいた。
「古事記」の仁徳天皇の条によると、仁徳天皇の皇后・磐之媛(いわのひめ)が、この地に住む奴理能美の邸宅を宮室として居住され、“一度は這う虫になり、一度は殻になり、一度は飛ぶ鳥になって、三色に変わる”という珍しい虫(蚕)を見たとの記述がある。
この物語を根拠として、外国から蚕が持ち込まれ初めて飼われたのが、筒城の地であり、それは古代から商業が栄えていた多々羅であると考えられている。
名前 |
日本最初外国蚕飼育旧跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
正面から見て左上部が欠損しているが、碑文には影響がない。