オランダ商館長のヨハン・ウィルヘル. ム・ド・スチ...
「土井の鷹見か、鷹見の土井か」とまで言われた俊才「鷹見泉石」が活躍する舞台となった古河藩土井家は、私が今住んでいる千葉県佐倉市と深い関係にあります。
家康公の御落胤と噂された「土井利勝」が下総国佐倉から同じく下総国古河に16万石の大身として転封したのが1633年の事でした。
この古河藩土井家(第1期)の時代は約50年弱で終わりました。
再び「土井家」が古河に転封されたのは81年後の宝暦十二年(1762)でそれから明治になるまで土井家は古河藩主を務めました。
鷹見泉石が家老として重用されたのは第2期古河藩の第4代藩主「土井利位」の時で、まさに「水野忠邦」の「天保の改革」と時代を同じくしています。
私の家の近くにある「印旛沼」の干拓等を目的とした放水路開鑿事業は「天保の改革」の目玉事業でしたが、鷹見泉石の家老職罷免の遠因となった「土井利位」と「水野忠邦」との政争の末に、この事業も1844年中途半端な形で終わってしまいました。
この難工事だった開鑿事業に関わった出羽「庄内藩」は多大な犠牲者を出し、今は「花見川」と呼ばれる川沿いには多くの無縁仏が祀られているそうです。
余談ですが、私の本籍地は「庄内藩」の支藩だった出羽「松山藩」の本丸跡だった「字新屋敷」にあります。
オランダ商館長のヨハン・ウィルヘル. ム・ド・スチュルレル曰く「鷹見忠常(泉石)の座れる場所は『泰西堂』なり」。
この部屋が「泰西堂」と呼ばれる、由来でもある。
名前 |
泰西堂 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
涼しい‼ 2022.3.3訂正。