西側の北の方にある本能寺跡の石碑です。
京都府中京区元本能寺南町にある本能寺跡の記念碑。
この記念碑より少し北の元本能寺町にあの本能寺の変の現場となった本能寺がありました。
織田信長が宿泊した当時は周囲を堀で囲んだ砦のような寺院だったそうです。
焼失後は移転され現在は中京区下本能寺前町に本能寺はあります。
私が来た時は他の観光客の方も来ていて地元の方が本能寺について色々話をしてくれていました。
こういう地元の歴史に詳しい方がいらっしゃるのは良いことです。
ここが本能寺の変のあった現場です寺町御池にある今の本能寺は焼け落ちた後に10年後に移転再建されたものですひとつ東側の角にも「此の付近本能寺の址」の碑がありますがこちらの碑の方が立派です本能寺の変当時の寺域は広大なもので東は西洞院、西は油小路、南は四条坊門小路(現蛸薬師通)、北は六角通東西南北それぞれ約120メートル四方に広がっていたそうです周囲に掘と土塁を巡らし、その内部には七堂伽藍と30余院もの子院や厩舎を備えた城郭構えの正に織田信長が宿所にするに相応しい都でも指折りの大寺だったようですこの碑の建つ場所は伽藍の西南角辺りになるようです天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変でこの大伽藍も兵火で焼失しました七年後に同じ場所で再建しようとしたところ、棟上式の当日秀吉より寺町御池の今の場所に移転するように命じられたと碑文にあります。
石碑はありますが、後ろの建物は老人ホームです。
高校のグラウンドもありますが、観光客が行くような感じのところではありません。
石碑だけ写真撮ってる人がほとんどです。
歩いて5分くらいの所にLe Petit Mec OMAKEというパン屋さんがあるので、クリームパンが好きな人にはおすすめです。
歴史苦手な人でも知っている、織田信長が焼き討ちにあい自刃した本能寺。
その跡地はいまや(高校と)京都市の消防団本能分団。
火の取り扱いに対する戒めなのか、諧謔なのか、京都の観光名所(?)としては地味だが、違う視点で面白いと思えた。
比叡山を焼き討ちにした当の本人が、本能寺で火に包まれた最期に何を考えたかに思いを馳せながら、因果応報を考えるのも一興かもしれないと思った。
分かってはいたが、やはりそこには石碑以外何もない土地。
車通りも多く風情は無いが、麒麟がくるファンとしては外せない聖地である。
もう1つの石碑を見てからこちらに来ました。
あれぇ、こちらには案内人もいるんだ、そして観光客も多いんだ!石碑も立派に見えましたが...明日からは何も無かったかの如く、人が往来する街になるでしょうね。
黒人奴隷から黒人武士。
弥助!アフリカ南部モザンビーク、コートジボワール出身?身長182センチ。
信長が切腹した後、側近の森蘭丸が介錯すると弥助が信長の首を持って光秀の包囲網を突破できず、首は敵に。
息子のもとへ届けられませんでした。
胴体はまだ埋まってるのでは?この人もイエズス会。
15ヶ月の付き合い。
長男,5男はここで戦死。
ようやく到達♪
まさに今年の大河ドラマ「麒麟がくる」主演の長谷川博己さんが明智光秀役、染谷将太さんが織田信長役。
ここで色々あったのかと思いを馳せます。
もうちょっとらしくしたらいいと思います。
本能寺の変後、織田信長の遺体は見つかっていないようです。
まだこの地に眠っているのかもしれませんね。
本当に突然ぽつんとありますが、石碑に書かれている内容は面白いです。
西側の北の方にある本能寺跡の石碑です。
寺の歴史が書かれています。
此の場所は歴史上重要な所ですが、本当に此処が本能寺の変の場所かは謎です、それは此処を掘り調査しましたが本能寺のカケラ一つ出ませんでした。
しかし、この辺にはある事は間違いは有りません、この本能寺から北に私の祖先が居ました、その爺様も、昔からの言い伝えで本能寺があったと、子供ながら覚えて居ます、現在も家は有りますが、約50年は尋ねて居ませね。
YOUTUBEで動画の配信をしています、是非【サントん暮らし】で検索を!
平成28年5月29日訪問。
訪問時間は朝方、しかも日曜日。
あたりはかなり静かでした。
ここにこれがあるとはという感じです。
一生に一度は見てみたかったです。
なにせ京都番組や歴史番組にはここの主人公さんがよく取り上げられるほどのメジャー人物ですからね。
名前 |
本能寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
宿泊したホテルの近くに京都の歴史的な場所、本能寺址がありました。
本能寺は、法華宗本門流の本山で、1415年に妙本寺の日隆が創建した場所です。
もともとは油小路高辻に位置していましたが、1433年に四条坊門大宮に移転し、名前も本能寺と改められました。
特に、1582年の本能寺の変は日本史に名を刻む出来事で、その時の本能寺は広大な寺域を持っていました。
この石標は、本能寺の変当時の所在地を示しています。
所在地は中京区蛸薬師通小川西南角にあり、この地域を「元本能寺南町」と呼ぶのも、この本能寺に由来しています。
石標の建立は1915年、京都市教育会によって行われたそうです。
この場所を訪れると、日本の歴史の一部を感じることができますね。
京都を訪れた際には、ぜひ足を運んでみてください!