山頂に大山つかみのミコトを祀ったのが始まりです。
狼信仰の秘境の神社⛩20分ほどの登拝で奥社まで着く雰囲気ある神社です😆
郷社 城峰神社神川町指定史跡「城峯神社」(じょうみねじんじゃ)御祭神 大山祇神神山の中腹に社殿、頂上に奥宮が祀られています。
日本武尊が東征の折、風光明媚な神山に登り、矢を納めて大山祇命を祀ったと伝えられています。
矢納の地名はこれに由来するといわれています。
(神川町HPより)御由緒矢納の地は、北の群馬県境を神流川が限り、南端に城峯山(1037.7m)、中央北部に神山(732m)がそびえています。
当社は神山の中腹(480m)に鎮座しており、神山の頂には奥宮が祀られています。
社伝によれば、第十二代景行天皇(105)の四十一年、日本武尊東征の折、この山の非凡なのを見て登り、自ら山嶺に矢を納めて大山祇命を祭り、はるか大和国の畝傍山にある神武天皇陵を拝して賊徒平定を奉告しました。
尊が矢を納めたので「矢奈布」と呼び、後に矢納に改めたといいます。
また尊は高峰の頂に霊時(祭場)を設け「加美屋満」と名付け、これがのちに「神山」と称するようになりました。
天慶三年(940)平将門の弟将平が当山に矢納城を築いて反旗を翻した時、藤原秀郷は勅命を奉じて討伐に向かい、賊徒平定を祈願し、乱が治まって後、厚く祭祀を行い、「城峯」の社号を付し、天禄二年(971)本殿を建立し、山頂に城峯奥宮を創立しました。
社殿は二度の焼失に遭い、正保二年(1645)に再建されています。
元文二年(1737)に幕府の命により柚木清太夫が祭祀を司るようになり、明治維新まで柚木家邸内に社殿があったといいます。
「風土記稿」に、当社は「山祇社 城峯山の絶巓にあり、長楽寺持」と記されています。
別当の長楽寺は、光明山明王院と号した真言宗寺院でしたが、明治初年に廃寺となりました。
明治五年(1872)に村社となると共に現在の神山に遷宮し、同十七年(1884)には郷社に昇格しました。
城峯神社の神使「お犬さま」(狼又は山犬)は、大口真神と称され、その霊力によりあらゆる災厄を消除すると信じられています。
(境内案内板より)
城峯山の登山途中に寄りました(^^)/撮影スポットには抜群な雰囲気でした!トイレにも寄れて満足です。
狛犬は狼と言うよりも犬かなあ。
旧郷社。
御祭神:大山祇命(おおやまつみ)。
創建:景行天皇四十一年(111年)往古。
(神川町指定史跡)ここ神川町大字矢納(字東神山)にある当社は、社伝によれば、景行天皇の皇子・日本武尊が東征したおり、山頂に矢を納めて東夷平定を祈願し、大山祇命を祀ったことが開創とされているそうです。
平安時代、平将門の乱のあと、将門の弟・平将平が城峯山に立てこもり謀反を起こしたおり、討伐を命じられた藤原秀郷が参詣し、乱の平定を祈願したと伝えられます。
無事、乱を平定した秀郷はねんごろに祭祀を行い、城峯の号を奉り、その後城峯神社と呼ばれるようになったそうです。
この神社の御眷属(けんぞく)とは「巨犬」大口真神(おおくちのまかみ)とされており、社殿の前には日本武尊にちなむ山犬型の狛犬が控えています。
当社はここ矢納の神山の中腹に鎮座していて、社殿の脇の登山道から上って行った、神山の山頂(標高732m)には奥の院が祀られています。
また、神山のある連峰のさらに奥(南方)には城峯山(秩父市吉田石間)がそびえていて、山頂(標高1,037m)のほど近くに城峯神社があり、そちらでは平将門伝説が残っているそうです。
今回参拝した2019年10月中旬は大型台風19号の後で、神社は閑散としていましたが、ここに至る矢納ルートは通行止めになっていて、神流湖ルートで上がってきました。
城峯神社の前の城峯公園には、紅葉シーズンや、冬桜シーズンが控えていますが、交通網の回復が待たれるところです。
サクラを見に行った場所です。
ビーグルの様な狛狼のいる神社。
春大祭時に🐺狼の護符も戴きました。
一の鳥居から二の鳥居、そして立派な社があります。
秩父にも同名の神社がありますが縁はあるそうです。
ここの狛犬も山犬です。
駐車場は一の鳥居をくぐり二の鳥居の手前にあります。
旧村→郷社格。
山頂まで40分ほどと掲示がありました。
冬桜見物の際に立ち寄りました。
冬桜見物の際に寄ってみました。
舞台の上にフクロウの彫り物がありました。
結構な力作。
ビーグルの様な狛狼のいる神社🐺狼の護符も戴きました。
名前 |
城峰神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-52-4888 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
2021/6/28日本武尊東夷征討時、山頂に大山つかみのミコトを祀ったのが始まりです。
明治五年この位置に遷宮され、神使のお犬様は大口真神と称され、あらゆる災厄を消除すると信じられています。