矢澤・森・関の三家は、時に共同して梵鐘等の大型製品の鋳造にあたっており、関家の活動は、銘文より東は新宿区から西はあきる野市にまで供給していることが判明しており、このあたりに江戸時代の鋳物師の活動拠点があったことは興味深い。
説明板だけが設置されており次のように書かれていました。
関家は、鋳物三家(矢澤、森窪、関氏)の一家と言われ、江戸時代から明治初期まで鋳造を業としておりました。
梵鐘、仏像等の他に鍋釜などの日用品を製造しており、鋳物三家の銘のある梵鐘には、立川普済寺、府中高安寺、日野牛頭天王(現八坂神社)等があり、谷保山南養寺のものには、安永六年(1777)関氏の銘が刻まれています。
また、関家には、観世音菩薩座像の鋳型が保存されており、この原形をもとにした仏像は、所沢の薬王寺にありましたが、戦時中の供出により失われてしまいました。
昭和三十七年の作業場等の発掘調査により面積約150平方メートルの中に鉄滓、鉄片、陶片、煉瓦片等が発見されております。
名前 |
関家かなどこ跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.8 |
ドリーミー国立ホール(葬祭場)の一角に説明板があるだけです。