お猿さんが有名みたいですv(・∀・*)
狛猿がユニークな新日吉神宮(いまひえ)を参拝しました。
後白河法皇が法住寺殿内に創建し、過去より朝廷から崇敬された神社で、昔は智積院の南側に在りましたが、明治30年(1897年)に当地に遷座されてます。
本殿前の狛犬ならぬ狛猿は阿吽の形を呈していて、本殿の蟇(かえる)股には真猿(まさる)が奉られてますが、 真猿u003d魔去るu003d勝る 猿u003dえんu003d縁に繋がる 悪気を祓い、災厄を退けて 、幸福を授けられます。
なかなかです。
女坂の横に鳥居がおっきく目立っておりました。
奥へ行くにつれて雅な雰囲気に包まれて境内には猿🐒が出迎えてくれまして特別な感じがしました。
宇治田原の猿丸神社と同じく狛犬が猿です。
折に閉じ込められて少し可愛そうな感じがします。
朱色な山門をくぐると中には派手さは無く質素な雰囲気でした。
参拝の方法や参拝詞が用意されているのも良いですね。
日吉と言う名称から豊臣秀吉さんとの関連があるのでしょうが、それよりも本殿の真後ろにある御神体とも言える大きな木と石は必見です。
大きさ枝の広がり方で圧倒されるとともに神々しさダケデ無く、柔らかく優しい感じを受け取れます。
猿が神の使いとされています。
そのため、狛犬でなく、狛猿になっています。
本殿の前にも、大黒天と仲良く並んで、小さな厨子(檻?)に中に猿がいます。
ここでは神猿と書いて、「まさる」と読みます。
境内の奥に、ひっそりと「樹下社(このもとのやしろ)」という小さな境内社があるので、忘れずにお参りしましょう。
秀吉を神として祀った豊国社は、徳川幕府によって破壊されてしまいましたが、樹下社でひそかに祀られていたそうです。
樹下は、木下藤吉郎の姓に由来するようです。
バス停東山七条下車、女坂をひたすら登ると鳥居が見えてきます。
平安時代末期、熊野と日吉への信仰は深まり、後白河天皇は法住寺殿の鎮守として、日吉大社より山王七社をこちらにお迎えになり創建されました。
御神祭は日吉山王七神と後白河天皇です。
日吉大社と同じく、大神のお使者である狛猿が鎮座されています。
猿は、真猿、魔去る、勝ると称され悪気を祓い、災厄を退け、幸福を授けるとされています。
またこちらは徳川時代にひそかに秀吉公の御神体がお祀りされていた豊国神社、道真公神霊と道真公御遺愛の飛梅の霊がお祀りされている飛梅天満宮も境内に鎮座されています。
御朱印は社務所にて頂けます。
猿を祀る 神社ですね。
風情もありましたし 御朱印も いくつか種類がありました。
敷地は今宮神社位の敷地!まさるみくじ200円と格安!京都では普通の神社です!地方だったまぁまぁの神社。
21年4月24日に訪れました。
永暦元年(1160年号)後白河天皇が法住寺御所の鎮守として近江の日吉山王社より山王七社の神々を勧請したのがはじまりです。
「真猿(まさる)」という神の使いの猿が祀られていました。
「真猿」は「魔去る」、「勝る」に通じ、悪気を祓い、災厄を退け、幸運を授けるといわれています。
「真猿」の御朱印をいただきました。
また、このもと社(豊国社)には江戸時代から、徳川家から廃祀された豊国大明神(豊臣秀吉)が密かに祀られています。
人も少なく、社務所もインターホンだから詮索もされずのんびりしている。
駐車場が“基本”無いことになってるから、居づらい。
とっても、静な処です。
でも、厳粛な感じを受けます。
新日吉神宮の裏の巨木がパワーまじ力強い。
お猿さんが守り神です。
逃げ出すのか網がかけられています。
新日吉(いまひえ)神宮 / Imahie Shrinet京都女子大学に向かう「女坂」の沿道にある。
山の神(比叡山、白山)、縁結びの神(出雲の神)、海の神(宗像神社)を一つに総合して日吉の神と称されているそう。
朱塗りの楼門が印象的であるが、本殿はかなりこじんまりしている。
後白河法皇が院の御所を法住寺に構えた際、鬼門を守る神社として比叡山から神様を勧請し創建したのが由来。
江戸中期には豊国廟のご神体がこの神社に運ばれていたそう。
幼名が「日吉丸」で「猿」と言われていた豊臣秀吉は日吉大社への信仰が厚かったことから陰ながら秀吉を祀っていたと思われる。
狛猿:ご神猿:まさる=真猿、魔去る、勝る=まさるだそうで京都御所、日吉大社(大津)にもご神猿像があるそう。
京都女子大の真向かいの高台に位置します。
坂道の途中から朱色の立派な桜門が眼お引きます。
滋賀県の日吉大社から勧請(分社)であり、神使は猿で、近くの豊臣秀吉が祀られている豊國神社とも、深い関わりがあります。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、日吉大社から勧請された神社なので、境内には神使であるお猿さんの像がありました!狛犬だけでなく狛猿までもがお出迎えしてくれます。
また、こちらで取り扱われているお守りも可愛かったです。
お猿さんが有名みたいですv(・∀・*)
神社の歴史や由緒自体は古くれっきとしたものだが、現在地に移転したのは1897年とのことで、京都の他の社寺に比べると荘厳さは欠け、若干荒れ気味の境内である。
江戸時代に秀吉公を密かに祭ったという境内社の樹下社があり。
これも観光客が敢えて見に行くというものでは無いかと感じた。
京都女子大学のすぐ横にある。
車は境内に 一応駐車できる。
赤く塗られた立派な山門があり 境内も広い。
拝殿から本殿にかけても、 ゆったりと 間が取られており、これも赤く塗られた本殿が 堂々と構えている。
何度も来ているが、 いつ来てもリフレッシュできる。
智積院と妙法寺門跡の間にある坂道を上がった右手にあるとても静かな社です。
後白河天皇を祀った本殿、豊臣秀吉を祀った末社(このもと社)もあります。
珍しいのは、狛犬ではなく両側に神猿(まさる)がいるところです。
鬼門封じの社も兼ねているそうです。
社務所で御朱印がいただけますが、新日吉神宮以外に末社のも全ていただけます。
このもと社、愛宕神社、秋葉神社、山口稲荷社。
周囲には豊臣秀吉の霊廟もありますし、坂道には飲食店が数件並んでいます。
新日吉と書いて「いまひえ」と読む。
観光客は少ないですが、鳥肌が立つような雰囲気でした。
比叡山の麓にある日吉大社から山王の七神を勧請して法住寺の鎮守社として創建されたので新=いま、新しいということ日吉=ひえ、比叡のこと創建されて850年にもなりますが「新しい日吉社」という社名です。
新日吉神宮の境内にある愛宕社、秋葉社、豊国社、飛梅天満宮、山口稲荷社の摂社があります。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、智積院の横の 通称女坂(女子高や女子大がある事から、当時 男子校だった大谷高の生徒はリスペクトしていました?)を登って行くと 小さな境内に出くわします。
此処では 神の使いとして 真猿🐒を大切にされています。
40年近く前に訪れた時は、本物のお猿も居ました!創建当時は、広大な敷地があったそうですが、幾たびの衰退で 此処に鎮座していますが、後白河天皇を祀られた事から、皇室の参拝も盛んになり 祭儀も盛大に執り行われたそうです。
近くにあった 旧豊国廟社が 家康によって 取り潰されたが、秀吉公を密かに祀るため 境内に 樹下社(このもとのやしろ)と称し 大切にされ 今日に至ります。
神幸の儀で妙法院門跡の御法楽に於いては、神仏が合同で行われる 珍しい祭礼が有ると、宮司さんに教わりました。
此処に昔は大砲がありました、 此の大砲は時報を知らせる物ですね^_^ 実は、下御霊神社に謎の砲弾がありましたが、これで此の謎が解けましたね、今は小さな社の後ろに捨てられていますが、多分これは、時報の砲弾ですね^_^
滋賀の日吉大社を京へ勧請した新しいほうの日吉社。
江戸時代には豊臣秀吉公を密かに祀り続けていた。
大好きなスポット。
観光客は少なく落ち着きます。
日吉を、昔は「ひえ」と読んだそうです。
全国の日吉神社が「ひよし」と名前を変える中、ここは「ひえ」を守っています。
本殿の奥にあるしいの木は、樹齢800年とも言われるパワフルな大木です。
2016/8/15拝受 いまひえじんぐう、と読みます。
狛犬ならぬ狛猿がいます。
真猿=「魔去る」「勝る」と解釈するそうです。
新日吉神宮の御朱印を頂きました。
有難う御座います!
名前 |
新日吉神宮 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-561-3769 |
住所 |
〒605-0932 京都府京都市東山区妙法院前側町451−1 |
評価 |
4.0 |
いまひえ神宮と読む。
読めない人が多いのか、のぼりにはフリガナ打ってくれてるわ😃ここへの目的は樹齢500~800年のスダジイと呼ばれる椎の木、近くの今熊野神宮のくすの木とセットで見るが良い。
ついでにサブちゃんの年輪も聴く(笑)永暦元年(1160)後白河天皇により、御所の法住寺殿の鎮守社として、坂本の日吉大社より山王七社を勧請されたのが始まりで主祭神には大山昨名を祀り、昭和に入り後白河天皇も祀られている。
酒作り、医療、縁結びに御利益。
立派な山門を潜ると広い境内へ、拝殿、本殿、そして末社、末社には菅原道真公を祀った飛梅天満宮、豊臣秀吉公を祀った豊国神社(樹下神社)もある。
成る程、狛犬ならぬ駒猿は日吉神宮と同じ。
本殿の欄の間、本殿前の屋根にお猿、大神の使者として縁起が良いそうだ。
わざわざ見える様にと、双眼鏡を用意してくれているのは優しい。