ゆっくり歩いてダムを堪能できそう。
子供のころ父親が東海林太郎のLPレコードをよく聴いていて自然に私もその曲が脳裏に残るようになった。
中でも湖底の故郷という曲は印象に残っていた。
その曲が小河内ダムのことを歌ったものであることを知ったのはずっと後のことである。
東京の都心から西に約65キロ、奥多摩といわれる自然豊かなこの地、山梨県との県境に小河内ダムはある。
そのダムで出来たダム湖は奥多摩湖といわれる。
小河内ダムは東京都民の水資源確保のために昭和7年に建設が決定、昭和13年に建設が開始された、途中戦争による中断もありながら完成したのは昭和32年。
建設に19年の歳月を要した。
このダム建設でかつてこの地に住んでいた小河内村の住民945世帯が移住し、その故郷の地は湖底に沈んだ。
それは小説にもなり、その石川達三の「日陰の村」も後に読んだ。
その住民の湖底に沈む故郷への惜別の情を歌ったのが歌謡曲「湖底の故郷」作詩は島田磬也、作曲鈴木武男、歌ったのは直立不動の姿で歌う東海林太郎である。
湖底の故郷の歌碑が小河内ダムの近く、奥多摩湖のほとりに立っている。
立派な歌碑である。
数年前初めてその歌碑を見た。
以来奥多摩湖に来るときは必ずこの歌碑の前に立つ。
そして小河内ダムが多くの犠牲の上に成り立っていることを想う。
そして湖底の故郷を口ずさむ。
湖底の故郷は今でも私の好きな歌の一つである。
最高に綺麗な湖ですね!何度来ても気持ちい。
朝は特に最高です!
東京都の水瓶奥多摩湖。
奥多摩駅から歩いてきたので到着した時は嬉しかったです。
見晴らし最高ですぐ近くの公園で山コーヒーを頂きました。
美味しかったです。
水道は確かなかったので水は持って行った方がいいです。
景色良し、トイレ食事出来る施設有り、ゆっくり歩いてダムを堪能できそう。
この湖底の故郷碑は小河内ダム建設のために、ダムに沈みゆく村の人々が故郷を去らなければならなくなり、二度と戻れない故郷を思う悲しみが歌になって刻まれています。
昭和6年にダム建設計画が発表され、昭和7年に小河内村は仕方なく了承しました。
945世帯、およそ三千人が移転を余儀なくされてしまいました。
小河内村は全域が湖底に沈みました。
夕陽は赤し 身は悲し 涙は熱く 頬濡らすさらば湖底の わが村よ幼き夢の 揺かごよ東海林太郎さんという人が昭和12年に歌ったそうです。
小河内ダムは東京の渇水時の水として重要な役割を果たしてくれていますが、ダム工事では87名もの尊い犠牲者がでています。
とても美しい静かなダムですが、過去のたくさんの方々の悲しみもそこに秘められています。
名前 |
湖底の故郷歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
秋は紅葉が綺麗です。