たいしたものが見れるわけではない、色々考え思う場所...
ここはよく「水雷発射場跡」といわれてますが正確に言うと「彦島水雷衛所跡」。
1904年日露戦争時、バルチック艦隊に備え関門海峡を監視し、航路に設置した機雷を発火させるための遺構。
そうただの防波堤ではないのです。
彦島がどれほど戦争時において重要な島だったか また、どれだけ戦争の犠牲になったかを伝えることのできる貴重な戦争遺産なのですよ。
下関戦争時(1864)連合艦隊に完膚無きまで破壊された砲台跡が海に向かって左側にあります。
現在は丸い形の壊された石垣の上に木が生い茂っています。
ちなみに防波堤の向こう側の砂浜は海軍浜と呼ばれています。
この海軍浜の真ん中あたりにも壊れた石垣が海中にもあり、何かの設備があっただろうと思われます。
中学生の頃はよく魚釣りに来ていた場所で、現在防波堤は復旧されていますが、立ち入り禁止の金網がまだあります。
彦島太郎の四方山話より抜粋。
名前 |
彦島水雷衛所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
たいしたものが見れるわけではない、色々考え思う場所。