戦争がなかったら今でもロープウェイが残っていたかも...
愛宕 ロープウェイ 跡地 / / .
案内板によると戦争で鉄を持っていかれたために開業期間わずか15年、2017年の発掘調査までその全体像は知られていなかったとのことかつての鷲尾城跡地というのも頷けるような場所もあった。
案内板もあり、よく整備されています。
戦争がなかったら今でもロープウェイが残っていたかもしれないと思うとやりきれない気持ちになりますね…
産業遺構です。
案内の説明がしっかりしていて楽しめます。
説明板によるとこの愛宕神社境内地である丘の上より明治通り愛宕下までを日本で二番目、九州初となるロープウェイ(当時はケーブルカーと呼ばれていました)が愛宕神社参拝用として結ばれておりました。
昭和三年春、現在の太宰府市に住んでいた豪農故西山三郎氏を始め有志数名が発起し「愛宕索道」を創業。
八人乗りの箱型の二台のロープウェイによる二分間の空中遊覧は窓からの佳景や物珍しさから参拝者、観光客、修学旅行の学生達等が訪れ大変賑わっておりました。
その後、経営は西山三郎氏の長女・結城夫妻に引き継がれ更なる賑わいと共に年を経ました。
しかし時代が変遷し戦時中、男性従業員は徴兵され、更にロープ・ワイヤー・車体までも供出せざるを得ない状況を迎え、昭和十八年、開業以来十五年をもって多くの惜しむ声の中、ロープウェイはその姿を消す事になったのです。
探してください!ちなみに、ロープウェイは第二次世界大戦のときに、特需で没収(金属類が必要)されたそうです…
名前 |
愛宕 ロープウェイ 跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
日本で2箇所目、九州で初のケーブルカーの山上駅があった場所です。
さらに古くはお城もあったとことですが、近年の発掘によって、山上駅施設の遺構も発見され、説明書きもわかりやすいです。
戦争によって、資材不足の中、鉄資材供出により、終止符が打てれてしまいました。
平和な今日とかつて戦った祖先に感謝です。