壱岐市 郷ノ浦町庄
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宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で...
庄触梅坂の宝篋印塔
長崎県
/
壱岐市
/
郷ノ浦町庄触
史跡
.
3.0
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宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。
多くは、石で造られています。
「壱岐国続風土記」や「壱岐名勝図誌」では「宗女御東墓(そうじょおんひがしのはか)」と記されています。
むかし、宗対馬守の女が唐津城主波多宗無の後室となり、嫁ぎました。
あるとき、父君を訪ねるために唐津から対馬に渡ろうとしましたが、船中でにわかに病気になり、渡良浦の大島の港に着きました。
その後病気は次第に重くなり、ついに亡くなります。
この事を唐津に連絡すると、壱岐国に葬るべしとの命があり、「対馬と唐津の見える所に葬るべし」との遺言もあり、郷ノ浦の本居村に船を着け、渡良浦道の北側の高所に葬りました。
その宗女の名を御東といいます。
この伝承は、郷ノ浦町東触所在の「華光寺高山の宝篋印塔」にまつわるものと全く同じです。
違うのは被葬者の名前で、ここにある宝篋印塔は「御東」の供養塔であり、華光寺の宝篋印塔は「華渓」の供養塔になっています。
2人は同一人物と考えられていてます。
四方に金剛界四仏の種子(梵字)を彫ってあります。
無地の隅飾りが二弧ついています。
この燈籠には、天保九(1838)年戊戌秋七月、対州小河三四郎平功永謹建之という銘が刻んでありますが、献納者の小河氏がどういう人物であるかは不明です。
出典:www.google.com
2018/3/1(木)
2024/4/4
庄触梅坂の宝篋印塔の詳細
名前
庄触梅坂の宝篋印塔
ジャンル
史跡
住所
〒811-5134 長崎県壱岐市郷ノ浦町庄触67−1
評価
3.0
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宝篋印塔は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。
多くは、石で造られています。
「壱岐国続風土記」や「壱岐名勝図誌」では「宗女御東墓(そうじょおんひがしのはか)」と記されています。
むかし、宗対馬守の女が唐津城主波多宗無の後室となり、嫁ぎました。
あるとき、父君を訪ねるために唐津から対馬に渡ろうとしましたが、船中でにわかに病気になり、渡良浦の大島の港に着きました。
その後病気は次第に重くなり、ついに亡くなります。
この事を唐津に連絡すると、壱岐国に葬るべしとの命があり、「対馬と唐津の見える所に葬るべし」との遺言もあり、郷ノ浦の本居村に船を着け、渡良浦道の北側の高所に葬りました。
その宗女の名を御東といいます。
この伝承は、郷ノ浦町東触所在の「華光寺高山の宝篋印塔」にまつわるものと全く同じです。
違うのは被葬者の名前で、ここにある宝篋印塔は「御東」の供養塔であり、華光寺の宝篋印塔は「華渓」の供養塔になっています。
2人は同一人物と考えられていてます。
四方に金剛界四仏の種子(梵字)を彫ってあります。
無地の隅飾りが二弧ついています。
この燈籠には、天保九(1838)年戊戌秋七月、対州小河三四郎平功永謹建之という銘が刻んでありますが、献納者の小河氏がどういう人物であるかは不明です。