高千穂峰山頂まであともう一息。
高千穂峰の麓にある。
霧島神宮の初めの建物があった場所です。
霧島山の火山活動で炎上消失石の鳥居と石の宮があらたに設置されました。
雄大な景色を背景にして凛と建つお宮。
「馬の背」と呼ばれる両側が切り立った火口縁沿いの細い道を越えて、高千穂峰の山頂に向かっていったん下ったところに、鳥居と小さな祠があり、その前にはたくさの石が積み上げられて山のようになっていました。
昔の人たちはこんな所まで神社を作りお参りしていたと思うと歴史を重さを感じます(2021.07.29)
山という自然の中にある、石の鳥居と祠、対象的な組み合わせが神秘的です。
霧島みね神社もとみや。
厳かな聖地です。
石の鳥居と小さな祠があります。
今、小林市にある霧島岑神宮がいちばん初めに建立された場所です。
霧島岑神社の由緒にここが元宮と書かれています。
霧島神宮の由緒にもここが元宮としています。
ここにある石碑にも霧島神宮元宮と刻まれています。
はたしてどちらの元宮だったのだろうかと少し調べて思ったことは両方あるいは霧島六社権現の元宮だったのではないだろうかと言うことです。
つまりここから6社に分かれたのではと。
はっきりとは分かりません。
神道、古神道ではもともと神社と言うやしろは無く、海、山、巨石、巨樹などに神が宿る、すなわち人知の及ばない自然などに畏怖して崇め、自分の身を清めたのだろうと思います。
霧島の山々にひもろぎの場所を作り、その後霧島六社権現のもとになったと推測します。
ーーーーーーーーーー霧島市観光協会によると霧島岑神宮は祭神①ニニギノミコト(天孫)②コノハナサクヤヒメ(ニニギノミコトの妻)③ヒコホホデミノミコト(ニニギノミコトの息子で山幸彦)④トヨタマヒメ(ヒコホホデミノミコトの妻)⑤ウガヤフキアエズノミコト(ヒコホホデミノミコトの息子、神武天皇の父)⑥タマヨリヒメ(ウガヤフキアエズノミコトの妻)霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称である。
霧島六社権現は、村上天皇の時代(平安時代中期)に霧島山などで修験道の修業を行った性空上人(しょうくうしょうにん)によって整備されたものである。
・霧島神宮 (鹿児島県霧島市)・霧島岑神社 (宮崎県小林市)・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)・東霧島神社 (宮崎県都城市)・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)ーーーーーーーーーーーーーー性空上人は平安時代の天台宗の僧です。
僧が神社を整備しました。
かつては仏教と神道はいっしょくたに信仰された時代がありました。
僧と神職の考え方も現在とは大きく異なっていたのでしょうね!
霧島山麓の山岳信仰の名残。
ここから霧島六社権現が始まったとも言える。
いい所です。
小さな新しい社殿は、噴火による社殿崩壊によるものとのことです。
登山道の途中に突然現れる神社は、ととても神秘的です。
登山の時は必ず手を合わせてから行きます。
天の逆鉾を望むような場所です。
元祖霧島神宮と云われますが古事記の世界を感じさせます。
このようなところに鎮座でもまだ先が素人には壁のような砂場?頑張った先には、絶景が。
最初はここにあって、噴火で焼けたので高千穂河原の霧島神宮跡へ、そこもまた焼けたので現在の霧島神宮へと移ったそうです。
御池側にある霧島東神社も、ここから分社されたのだとか。
御鉢と高千穂の絶景の間に地味な鳥居があるだけなのでスルーされがちですが、せっかくここまで来たのですから、礼儀的な意味も含めて、ここに参拝してから高千穂に登ると良いと思います。
ここに鳥居があって初代神宮があるということは、ここから先は山自体が御神体ということでしょう。
深く頭を下げて 入山しました。
名前 |
霧島神宮 元宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
高千穂峰山頂まであともう一息。
広いので休憩に良いです。