春姫が近世に無実を訴える場面で詠んだとされる二首の...
濡衣着せられ死んだ娘さんの塚。
大きな桜が植えてあります。
春姫が近世に無実を訴える場面で詠んだとされる二首の歌が伝わっている。
「脱ぎ着する そのたばかりの 濡れ衣は 長きな無き名の ためしなりけり」「濡れ衣の 袖よりつたふ 涙こそ 無き名を流す ためしなりけれ」
濡れ衣(u003d冤罪)という言葉の発祥となった伝承のある場所。
聖武天皇の時代も連れ子を邪魔にする継母がいる。
人は変わらないなあ。
悲しい場所。
「濡れ衣」の語源。
濡れ衣”という言葉の由来になった塚。
その昔、聖武天皇の時代(8世紀頃)に、筑前の国司として、佐野近世が妻と一人娘・春姫を連れて赴任したが、在任中に妻が亡くなったため、土地の娘を後妻として迎え一女を授かったそうな。
ところが、連れ子の春姫が疎ましく思えた後妻が、漁師に「春姫様が釣り衣を盗むので困っている」と近世に訴えさせ、その証拠にと、濡れた釣り衣を着て眠っている春姫の姿を見せられた近世は逆上してその場で春姫を切って捨てたとか。
一年後、近世の夢枕に無実を訴える春姫が現れ、自分の行動を悔いた近世は出家して石堂川の畔に濡衣塚を造ったとされています。
名前 |
濡衣塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
古い塚です。
かなり昔の史跡です。