遥か昔にこの高い切り立った山にこのような大量の石像...
うーん、コンクリート製なので時間とともに崩れたり割れたりします。
このため首が取れて当たりします。
失礼ですが商業主義っぽいです。
1500でなく30でも一つ一つきちんとして壊れないもの、大事に作られたものであるべきかと思います。
ものすごい数ですが、雨風で一部がかけてしまった石像もたくさんありました。
道は結構険しくて、雨が降った日は水溜まりが出来ていて歩くの大変でした。
江戸時代に作られたと言われる石仏や観音様が、何カ所かに分かれて山腹の洞窟に置かれています。
行基が開いたと言われる日本寺が鋸山にあり、山の南斜面に広がる境内には、1553体の石仏群(羅漢)がある。
1780年に21年の年月をかけて彫ったもので、一つとして同じ顔がなく見応えがあります。
山道沿いに石像がグループごとに置かれている、遥か昔にこの高い切り立った山にこのような大量の石像を並べられたのはひとえに信仰のお陰でしょうか。
巧拙は様々ですが、思いの深さはそれに比例してないと。
千五百羅漢という1500体ある場所があるのではなく、何箇所かに分かれてある羅漢をまとめて呼んでいるようです。
メインのコースではないためここを通る人は少なかったです。
鋸山山頂から、日本寺への岩々の間に、たくさんの羅漢さんがおられます。
とにかく沢山の ”いい顔” の仏さんです。
時々、頭のない仏さんがいられますが、嘘か本当かわかりませんが、地蔵さんの頭を懐に入れてもっていくと、博打に勝つという言い伝えがある所があるようで、昔の博徒が取っていってしまったのかもしれません。
現在の木更津(上総国)の石匠大野甚五郎英令という人が鋸山山頂から日本寺大仏にかけて羅漢群を奉納しました。
高雅愚伝禅師の発願で1779年安永8年から1798年寛政10年の21年にかけ、門弟と共に生涯をかけて石仏1553体を刻みました。
石材は海路、伊豆より運ばれてきたそうです。
アップダウンがかなり急な道で、汗をかきにくい真冬を選びました。
それでも大変でしたが、石仏の色々な表情に癒されながらゆっくりと歩くといいと思います。
首がない石仏は明治時代の廃仏毀釈で壊されてしまったもので、「羅漢様お首つなぎ事業」によってかなり復元されているという事ですが、頭部のない痛々しい羅漢様もまだ目立ちます。
俗に「首なし羅漢」と呼ばれているそうです。
又、千五百羅漢の中に大野甚五郎のお墓もありました。
名前 |
千五百羅漢道 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
鋸山の地獄のぞきの先を行くとここにつきます。
このまま進むとロープウェー乗り場です。
階段でアップダウンが激しいのでかなり息が上がります。