案内板しかありません。
御茶屋跡・勘場跡(小郡代官所跡) / / .
昔、昔、このそばに小郡町役場がありました。
案内板しかありません。
その案内板の屋敷見取り図をみると、現在はふれあいセンターになっている道の向こう側もお茶屋の敷地だったんですね。
今では説明板と当時からある石垣の土台がわずかに残るのみですが、ここには江戸時代に藩主の休泊施設である御茶屋と、隣接して小郡宰判の勘場(役所)がありました。
幕末には吉田松陰の叔父である玉木文之進や後に明治政府の外務大臣となった井上馨らが代官をつとめました。
元治元年(1864)、四国連合艦隊との和議方針を決めた御前会議はここで行われ、高杉晋作や井上馨、伊藤博文も同席したそうです。
名前 |
御茶屋跡・勘場跡(小郡代官所跡) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.8 |
小郡宰判勘場跡。
吉敷郡南部(現在山口市南部、宇部市東岐波、西岐波、防府市台道)を管轄とする。
佐波郡西之浦(現在防府市西浦)は寛政2年(1790)7月20日田島村より分離して三田尻宰判から小郡宰判に添石(移管)された。
一時期小郡宰判に属し後に三田尻宰判に戻った。