歴史を感じる不動堂へ!
不動堂の特徴
足利市指定文化財の歴史ある仏教寺院です。
本堂よりも古さを感じる不動堂の雰囲気が魅力的です。
国宝や重要文化財が多数存在する貴重な場所です。
鑁阿寺に行けば必ず奉拝します😁ノウマク サンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン😁
足利市指定文化財。
1592年、生実御所国朝が再修、江戸時代中期に現在の建物が造営とあります。
脇役的存在のためか人の行き来が少ないです。
歴史を感じられる。
お堀には大きな鯉が泳いでました。
(^o^)v
足利氏の邸宅跡があり中世の歴史を感じられる。
古いお寺さんで雰囲気はとても良かったですよ❗
本堂よりも古さを感じる不動堂😌
国宝や重文の建物がたくさんあります。
御朱印カッコいいです!
足利義兼の創建とあるが、文禄元年(1592)の再建になる。
御本尊・不動明王は、往古千葉県成田山より勧請せるもので、興教大師の作といわれる霊験新たかな不動明王である。
国宝や重文の建物がたくさんあります。
御朱印カッコいいです!
名前 |
不動堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0284-41-2627 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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鑁阿寺中御堂(不動堂)文禄元年(1592年)、生実御所国朝の再建という。
足利国朝は、かつて総州小弓(生実)御所と称された足利義明の孫であり、国朝の父は義明次男の頼純(頼淳)である。
小弓の地は、元々千葉氏の勢力圏にあり、千葉氏家臣原氏が在城していたが、永正・大永年間に義明を奉じた上総武田(真里谷)氏によって攻略され、義明の入城より小弓御所を称した。
しかし、天文七年(1538年)の下総国府台の合戦によって足利義明が敗タヒしたことで小弓公方は滅亡し、小弓城は再び原氏の支配に復した。
義明遺児頼純は逃れ、安房里見氏の庇護を受け、暫し潜伏生活を余儀なくされた。
天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、小弓城主であった原氏が後北条氏と共に滅した為、この混乱に乗じて安房里見氏の助力によって再び小弓を奪還したという。
小田原征伐の戦後処理に係る秀吉は、足利家断絶を惜しみ、古河公方足利義氏の遺児氏姫を、小弓公方足利頼純の子国朝に娶わせ、天正十八年に下野喜連川に3500石の所領を与えた。
これが後に喜連川藩となる。
国朝は文禄二年(1593年)に文禄の役従軍中に病没し、家督は弟の頼氏が継承した。
当不動堂の案内板によると、「生実御所国朝」との表記になっている。
これは、国朝が当時喜連川、古河、小弓の何れに在ったのかは不明なものの、文禄元年(1592年)には、尚小弓に本拠があったという細やかな証拠となるのだろうか。
後に喜連川に本拠を移す足利氏の末裔は、束の間の小弓御所再興を誇りに思っていたに違いない。
同郷の誼を感じ、不動堂では一層念入りにお参りした次第である。