小さい神社あるいは祠と呼ぶべきか。
駅前にあるけど気付かず通り過ぎちゃいそうな場所にあるこじんまりした神社。
掃除してる時は入りづらいですね。
検定間近でたまたま見つけた西千葉稲荷大明神で合格祈願をしました。
おかげさまで、無事合格する事が出来ました!!ありがとうございましたm(_ _)m
こじんまりしていますが、すごく居心地よく感じられます。
入り口横に貼られている文言。
読み入ってしまいます。
『コロナとんでいけ』あなたと地域を護る(まもる)西千葉稲荷大明神。
小さい神社あるいは祠と呼ぶべきか。
駅の隣にある交通至便の神社。
思い立った時に拝めます。
西千葉稲荷さまの由来,遠い遠い昔の話です。
佐倉周辺に住み少しばかりの田畑を耕し、普段は川魚を取り、中でもうなぎが一番の稼ぎ頭だった。
20才前後の青年の名は与助と申します。
よく働き、村の出合い仕事にと積極的によく出て、それに又祭りが好きでした。
こういう事でとにかく皆から信頼されていたのです。
ただ、人間の感情とはうまくいかないもので、うなぎを卸しているとある年上の女将さんに恋心をいたくようになり、相思相愛の深い仲になりました。
それが発覚してとらわれの身となり、この西千葉の地で処刑と言う事になっていました。
その道中うしろにいた歯の丈夫な山賊の男がいて、与助の手首の縄を一服するたびにくいちぎったのです。
そうして江戸へ逃げきったのが、この西千葉稲荷大明神のはじまりです。
逃げきった与助は、4,5日何も食わず、水と野草で命をつなぎ、たのみたのんでやっと食べるだけと言う事で、老夫婦がいとなむ小さな旅籠で働く事になりました。
それこそ毎日びくびくしながら、なりふりかまわず必死になって、便所掃除から大工仕事、庭の手入れ、料理と、おもいつくままによく働きました。
そのお陰で、その旅籠は大繁昌。
周りの人からも大変信用してされ、めでたく嫁を迎え入れ、そこは子孫がなく、可愛い子供もでき、幸せな仕事をおくるようになりました。
するとどうしても、おもいだすのが処刑された人達の事です。
自分だけ助かって申し訳ないと思い、いてもたっていられずに、この西千葉に年1回の初午の日に供養に来ていたのが今も続いているのです。
そうして晩年、世を去ろうとしている与助は、1番信頼できる番頭に向って、千葉に行って供養をしてくれと必死になってたのみこみました。
当時は今のように便利でなく、テクテクと歩いて、背にお供物、小石を積み上げ、目には涙を流しお祈りをしていたそうです。
たぶんこれこそが与助なのでしょう。
あなたの応援者です。
与助は…。
手入れされたお稲荷さんです。
【由緒】「江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。
刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。
その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した」
西千葉の駅前開発のために移転しようとすると、関係者に不幸が訪れ、どうしても当地から遷座してくれないという、本当だか嘘だかわからない話を子供の頃から聞かされている神社。
なんでも江戸時代には刑場があったとか、刑死者を慰霊するための神社だったとか。
今ではお稲荷さんが祀られ、赤い幟が林立しているものの、別におどろおどろしい雰囲気でもなく、地元の(一部の)人々の崇敬を集めている小さなお社である。
西千葉駅の東側に有ります。
ここの稲荷神社は電車通学してる時に見つけた神社です。
1年ぶりに寄りました。
日中に来たのは初めてです。
駅前とかアクセス最強でしょ。
名前 |
西千葉稲荷大明神 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.9 |
駅前なのにここだけ異空間に通じているような感じがするお稲荷さん。
掃除が行き届いており、地元に大切にされていることがよく分かる。