閑静な昔ながらの住宅街にありました。
長久手の戦いの時のたくさんの戦死者の首を、集めて手厚く埋葬し供養しています。
塚には、1706(宝永3)年と1910(明治43)年に建てられた古い石碑があります。
私は、近くの色金山歴史公園の駐車場から歩いて行きました。
閑静な昔ながらの住宅街にありました。
道は狭くて、一方通行ですので、お気をつけて下さい。
敵兵だった方も大切に供養されています。
名古屋市の東方、長久手市の丘陵地帯にあり、天正12年(1584)の小牧長久手の合戦地である。
首狭間は、最後の激戦地で同年4月9日、豊臣秀吉の先鋒、池田恒興父子、森長可らが徳川家康の軍と交戦戦死の地といわれる。
字仏が根に恒興、字武蔵塚に子の元助、その西方数百mのところに長可の墓がある。
それぞれに明和8年(1771)に建立の尾張藩勘定奉行と小納戸職による戦死者の追悼石碑がある。
古戦場関連地は周辺にいくつかあり、御旗山は家康が旗をたてたところ、首塚は大字岩作にあって戦死者を安昌寺の雲山和尚が里人とともに手厚く葬ったところと伝えられる。
また、色金山は首塚の北数百mの地にあって、家康がここに腰掛けて指揮したと伝えられる床机石がみられる。
これらはそれぞれ附として指定されている。
首塚、色金山には宝永3年(1706)に尾張藩士による漢詩入り石碑が建立されている。
主戦場地は、郷土資料室など複数の施設をもつ古戦場公園として整備され、色金山は色金山歴史公園として整備されている。
名もなき武将の多くが犠牲になった。
戦死した武者を弔った祠です。
4月に首塚祭りがあります。
地元の人にとても大事にされている色金山歴史公園に車を停めると便利。
地元の人にとても大事にされている色金山歴史公園に車を停めると便利。
名前 |
長久手古戦場 首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/kinenbutu/siseki/kunisitei/0864.html |
評価 |
4.0 |
久岳山安昌寺/雲山和尚が敵味方関係なく長久手の合戦の戦死者を弔った首塚。
街中にひっそり佇む史跡、綺麗に手入れされて良かったです😌少し東側に行くと安昌寺の細い参道があります🚶道が狭く車の駐車は難しいです、安昌寺の駐車場利用が安心です🚙