名前 |
八幡寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0883-74-0302 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
明治の神仏分離以前は八幡寺の神宮寺の機能を果たしていたお寺です。
八幡神社は大西氏が白地城を築いた際に、伊予八幡浜より勧請したと伝えられます。
その際に、大西氏が報恩寺と称した寺院を移転し、別当寺として八幡寺に改称させたといいます。
境内には、庚申塔、大西氏縁故者の墓とされる三層の石塔(五輪塔の空輪・水輪を集めたものか)があります。
天正年間(1573~1592)頃まで、ここから尾根伝いに伊予へ抜ける道(八幡街道、京街道)が用いられていたと伝えられます。
修験道の行者は、撫養から四国の西端の八幡はまで、尾根筋の修行道で行き来したとも言います。
ここからは眼下に、池田ダムや池田大橋が見下ろせます。
長宗我部元親も、ここで讃岐と阿波の制圧に向けての野望を膨らませていたのかもしれません。