韮山時代劇場から程近くにある蛭ヶ小島。
蛭ヶ島(ひるがしま)公園 / / .
今年の大河ドラマの主人公、頼朝像が富士山を見上げる施設のある公演。
駐車場は無料で利用出来る。
大河ドラマ館横の観光案内所でスタンプラリーを知り、あと2箇所でもれなく景品が貰えるとのことで、近くのこちらを訪問。
何ともないところですが駐車場も広く気持ちのいい景色の良い所でした。
天気が良ければ銅像の見つめる先に富士山が見えるとのことです。
園内に、茅葺きの小屋、蕎麦屋がありました。
駐車場、小屋の見学共に無料ですし蕎麦も比較的安価なようです。
韮山時代劇場から程近くにある蛭ヶ小島。
蛭ヶ島公園には、源頼朝と北条政子の銅像があり、2人で富士山を眺めている。
絶対観光客はココも観に来るのに、大河ドラマ始まっても、ずーっとしょぼいまま。
源頼朝が14歳の時に平治の乱で、平家に敗れて、この地に流されて20年過ごした場所らしい。
20年!ということは34歳までか。
なかなかの年月。
その後、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれているように巻き返す。
源頼朝公の忸怩たる思いが詰まった場所とも言えるのかも。
田舎のなんということの無いありふれた公園のようですが、大河ドラマ鎌倉殿が始まって人気スポットになること間違いなしです。
頼朝と政子の像があります。
園内の無料休憩所も嬉しいです。
蛭ケ島茶屋と言います。
覗いてみると愛想のよいおじいさんがお茶を入れてくれます。
囲炉裏の周りの椅子に腰かけて温かくゆっくり出来ます。
簡単な食事(うどん、そば、カレー、おにぎり、モチ、おしるこなど)を非常にやすく提供してくれているのも嬉しいです。
駅前に大河ドラマ館が1月15日からオープンしますが、そこから徒歩5分程度です。
おすすめスポットです。
平治の乱で敗れ、源頼朝が配流され、挙兵するまで過ごした流刑の地。
狩野川の中州のような島だったらしい。
14歳から34歳までなんと20年もいたとは、平均寿命が短かった当時としては終わった感があっただろう。
しかし北条政子と結ばれたこと、北条時政が支援することにによりのちのちの武家政権の発足につながることになる。
北条政子、時政親子は、流刑人で力も何もない源氏のプリンスに、すべてを捨てて乗っかったのは、ものすごい親子 であったものである。
この地に立つと今は中州である面影を感じることはない。
ただこの蛭ヶ島の低地から山木判官の攻め入った場所や願成就院の位置関係を感じるに、当初の頼朝公と地方豪族に過ぎない北条氏が旗揚げしたこの地が、大きな力となり歴史を動かしたのかと思うに、感じるものが多いものであります。
この公園は小さく、ともすると小さな子供が遊ぶたわいもない公園に過ぎないが、歴史を感じながら近隣の史跡をめぐることにより、意味のある場所となるのだと思う。
平治の乱に敗れた源頼朝が配流されたとされる地20年間この地で過ごしたとのことその間に北条政子と結ばれたので富士山を仲睦まじく眺める2人のブロンズ像があります。
鎌倉幕府を拓いた源頼朝が平家との戦い(平治の乱)に敗れて流された地と伝わる場所との事。
現在は妻の北条政子と頼朝の銅像と石碑、小さな茶屋と古民家(歴史民俗資料館のようですが閉館状態)があるこじんまりとしたスペースになっています。
今は平地ですが、当時は中洲地形でその名のように小島だったようですが、ここに配流された頼朝の心境はどんなものだったのでしょうか…⁉️、頼朝は慎重で我慢の人物と言われてますが、蛭ヶ小島での配流生活が影響したのではないか…⁉️と思います。
ちなみに2022年の大河ドラマは北条氏なので縁の注目スポットになるかもしれません。
前回きたときは道路から像の写真を撮っただけでしたけど 今日は公園に入って見ました。
小さいけど静かな公園です。
茶屋が一軒あり食事やお茶を楽しんでいる人たちが静かに集っていました。
後北条氏の方に興味があり、韮山城跡の「ついでに」立ち寄った。
のんびりした良い公園でした。
22年の大河も決まり、これから人気スポットになる…かな?
私が言った当時、2005年くらいだったと思うが、他の方のレビューにある頼朝夫妻の銅像はあったのかな?全く記憶にない。
ここにいた頼朝がまさか政権を取るとは。
平家の監視が緩すぎた、それに尽きる。
とにかく、私がいった当時は、平たい公園だけだったと思う。
違っていたらすいません。
こじんまりとした良い公園ですよ🎵晴れていれは富士山もバッチリ‼️
頼朝、政子像があります。
古民家も。
お茶屋さんが有りますが、流石にお茶美味しかったです‼️ところてんも和風でここでしか味わえない味ですね‼️
小さな公園ですが、頼朝政子の銅像ごしの富士山は素晴らしいですよー。
平治の乱に敗れ配流された源頼朝の居館跡(厳密な場所は判明していないが、凡そこの辺りらしい)。
配流とはいえ監視付きの軟禁状態であったため、自由は利く身ではあった。
後に北条政子と知り合ってからは北条氏の居館に移り住んだらしい。
いずれにしても鎌倉幕府を開いた頼朝の雌伏の地であり、その意味では感慨深い。
家の近所であの源頼朝が流された島です。
このあたりを、韮山町四日町字蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝配流の地といわれている。
狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河、和田島・土手和田等の地名が現存するところから、往時は大小の田島(中州)が点在し、そのひとつが、この蛭ヶ島であったことが想像される。
永曆元年(1160)十四才でこの地に流された頼朝は、治承四年(1180)三十四才で旗挙げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流二十年間における住居跡等の細部は詳らかではない。
しかし、 "吾妻鏡"治承四年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約一、五粁の守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。
このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約十七年間を、ここ蛭ヶ島で過したものといえよう。
当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政二年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。
また、この碑の西側にある高い碑は、秋山富南の頌徳碑で、豆州志稿の增訂に当った荻原正夫が、明治二十六年に建立したものである。
ただの公園ですが、休憩できる茶屋があって良かったです!!無料でおいしい静岡茶を頂けて、囲炉裏の炭火であったまれました!!
頼朝と政子の像が建っています。
駐車場とトイレに茶屋があり、食事や休憩ができます。
頼朝と政子の像が建っています。
駐車場とトイレに茶屋があり、食事や休憩ができます。
名前 |
蛭ヶ島(ひるがしま)公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/tosikei/shisetsu/kouen/018.html |
評価 |
3.7 |
普通の児童公園だろうなと期待せずに訪問しましたが、トイレあり、茶店あり。
そして富士山がきれいに見ることができます。
観光案内板も整備されていました。
駐車場は10台ぐらいですかね。
茶店ではお蕎麦やおでん、お汁粉が供されています。
美味しい静岡茶をいれてくれました。
誉めたら、キョトンとするんだよなあ。
これが当たり前なんですねえ。