江戸時代にあった請西藩の陣屋跡です。
江戸時代にあった請西藩の陣屋跡です。
別名、真武根陣屋。
現在、付近は大規模宅地造成の真っ最中です。
当時を偲ぶよすがはほとんど残されておりません。
周辺に土塁の跡らしきものや、堀の痕跡のようなもの、あるいは虎口と思われるクランク等は確認できますが、当時のものかどうかは確認できません。
幕末維新期の請西藩は、殿様の林忠崇が佐幕派で、戊辰戦争では幕府側について戦いました。
伊庭八郎と箱根戦争を戦ったり、仙台まで転戦したりと、根強い抵抗を続けますが、最後には降伏のやむなしに至ります。
林忠崇は昭和16年まで生き延びて、最後の大名と呼ばれることになります。
なかなか数奇な人生です。
名前 |
請西藩陣屋跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
千葉県木更津市請西 真武 根 陣屋 跡 、〒292-0801 千葉 県 木更津 市 請 西 1139−33 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.3 |
請西藩陣屋(真武根陣屋)跡 第三代藩主の林忠崇公は、若年にありながら徳川家への忠義に篤い気骨の殿様であった。
前代未聞の藩主自らの脱藩、戊辰戦争に参戦し箱根や奥州へ転戦、そして徳川宗家存続が決定したことを受けて自らは降伏。
結果、新政府からの処分が下り、請西藩は全国で唯一の改易となった。
林家のその後は、紆余曲折あったものの、元家臣達の尽力の甲斐もあって、家名回復が成って林忠弘(養子)に男爵が授与された。
忠崇公自身も、無爵ながらも華族に列せられた。
忠崇公は、昭和16年1月22日死去。
最後の大名と言われている。
請西藩の遺跡は、今は跡をとどめず、茫漠たる草原が横たわるのみである。