後北条氏の傘下にあった牛込氏の居城跡。
浄土宗 樹王山 光照寺 / / / .
神楽坂に初めて行き善國寺と安養寺に行ったのですが安養寺の近くに設置していた地図に載っていたので、行きました。
神楽坂の途中、脇道に入り地蔵坂という坂を登るとありました。
浄土宗のお寺で寺務所に行くととても丁寧に書いてくださりました。
玄関先で待っていましたがいろいろお気遣い頂きました。
ありがとうございました!
中世の豪族牛込氏の城跡に建つ浄土宗寺院。
旅の途中で亡くなった人たちの「諸国旅人供養碑」がある。
お忙しい様子でしたが、ご朱印の対応がとても丁寧で恐縮してしまいました。
お堂は閉まっていました。
お堂の扉はアルミサッシで建物自体も新しい」お寺さんです。
手漕ぎポンプの井戸があります。
境内も清潔で、気持ち良いお寺さんでした。
ご住職の説法はとてもわかりやすく、親しみのある言葉でお話してくださいます。
ありがたいです。
境内の撮影は許可制。
お寺の入り口の向かい側に大きなギンナンの木があった。
樹齢260年。
新宿区指定の保護樹木らしい。
境内に入る。
まず、本堂左手前に元禄九年銘の手水石を確認。
蓮が植えられていた。
酒井家が奉納したものと側面に刻まれている。
次に、境内左手に如来立像あり。
下腹部に人名が彫られている。
その隣に海ほうづき供養塔なるものがある。
子細は現地観察から不明。
多分、明治以降のもの。
本堂正面先には出羽酒井家の墓所がある。
目立つので直ぐに分かるだろう。
ただし、東日本大震災が原因で、墓石が崩れ落ちる危険があるため、関係者以外立入禁止となっている。
遠くから見るに墓石の側面に開いた蓮が彫られているのが分かる。
また、墓所の奥(本堂左手側)に奥田抱生の墓あり。
自然石型のお墓で、阿弥陀如来の種子が刻まれている。
特に案内板はなし。
奥田の墓から最奥に進むと「諸国人供養碑」あり。
区が設置した案内板がある。
供養碑は兜巾型で、正面に南無阿弥陀仏と刻まれていた。
その右隣は万治三年と刻まれた塔が寛文十二年と刻まれた台座の上に乗っている。
造立趣旨は良く分からないが、お墓かと思われる。
その右隣は板樋型の墓石で、三人の戒名と没年月日が刻まれている。
その更に右は、おそらく尼僧のお墓。
そこから墓所南左端角に向かって移動すると「便々館湖鯉鮒の墓」が見える。
これは案内板があるので、目立つはず。
出羽松山藩の歴代藩主の墓所が広い面積を占めています。
所有者不明となっている為に、墓所への立ち入りは禁止になっています。
複雑な事情があるようです。
出羽松山藩(山形県酒田市)藩主、酒井家の菩提寺。
光照寺は、戦国時代に後北条氏の家臣であった牛込氏の居城跡に1603年に創建された歴史あるお寺です。
江戸時代、出羽松山藩江戸屋敷の菩提寺であったため、境内には同藩主家の酒井家歴代の墓が残されています。
新宿区登録有形文化財に指定されている地蔵菩薩坐像、十一面観音坐像、阿弥陀三尊来迎図、法然上人画像、諸国旅人供養碑、などの多くの文化財を保有しています。
神楽坂の繁華街裏手の分かり難い場所にあるお寺ですが、大変趣のある名刹だと思います。
牛込城の跡地でもあります。
樹王山光照寺はご本尊を阿弥陀如来をお祀りしている落ち着いたお寺です。
御朱印はお気もち!
かつてここにお城を構えていた大胡氏は群馬出身。
だから、近くに赤城神社があったりします。
境内には牛込城跡を示す案内板がありますが、お墓参りの人も多いので、観光地という感じではないです。
浄土宗のお寺。
牛込城趾。
牛込氏はもと大胡(おおご)氏。
古く上野国にあり、近隣の赤城神社も大胡氏の勧請。
ここに城あり。
ここより神楽坂に下る道を「大手門通り」と呼ぶ。
大胡氏は浄土宗に帰依したと云う。
大胡氏の名は源平盛衰記に見える。
田子の浦の人で富士川で水練に親しみ、船上の平氏を水中に引き込む武者と云う。
後、上野国に移り、またこの地に移ったと思われる。
後北条氏の傘下にあった牛込氏の居城跡。
名前 |
浄土宗 樹王山 光照寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3260-1025 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
住宅地にあり目立ちませんが、中に入ると急に都会の喧騒から離れた別世界になります。
お墓もたくさんあります。