知多四国八十八箇所霊場 第15番札立派な趣のお寺で...
清楚で穏やかな雰囲気で、門から銀杏の木がみえます。
向かって右手に徳川家康の生母・於大の方のお墓が小高い場所にありました。
彼女は山城伏見城(京都)で亡くなり、遺骨は江戸小石川の傳通院に埋葬され、遺髪がこの洞雲院に埋葬されお墓になっています。
毎年3月16日には、於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会(通称おせんぼ)が開催されています。
親族主催の法事に参列するため、当寺院を訪れました。
当寺院は神君家康公の生母、於大の方の墓所があるところと、かねてから聞き及んでいたが、実際に建屋に入るのは、今回初めてであった。
やや、緊張する。
拙宅が起用している寺院と較べると、開山以来の歴史の重みがまるで違う。
そして、地元・地元出身者から如何に大切にされているかも、伝わってくるような気がした。
☆久松家の先祖と言われる菅原道真の孫「菅原雅規」が948年(天暦2年)に開基とは凄く古い歴史、久松定益が1494年に洞雲院として中興、中々立派な構え、駐車場も凄く広い❗️☆久松俊勝に嫁いで来た徳川家康の生母/於大の方、三男四女の子供にも恵まれ、於大の方の菩提寺、於大の方は関ヶ原の戦いの2年後、1602年(慶長7年)伏見城で亡くなり、洞雲院には於大の方の遺髪が納められているそうです🤔☆本堂の左手の道から裏手の墓地へ🚶『久松・松平家葬地』5基、正面右側から・久松定益…1510年死去、阿久比城築城・久松定義…1532年死去、定益の子・久松俊勝…1587年死去、1561年岡崎城代として於大の方と共に阿久比城を離れる・於大の方…1602年伏見城にて死去75歳・松平定綱…1651年死去、俊勝と於大の方の子/定勝の三男、桑名藩三代藩主、子孫に寛政の改革を仕切った松平定信☆墓所周りも綺麗にされています✨※不思議、何故「松平定綱」の墓だけが洞雲院に、桑名照源寺では⁉️※墓所に彫られた家紋が久松三代は「星梅鉢」、於大の方と松平定綱は「葵」、こんな違い発見も楽しい☘️
歴史有る寺院です。
参拝中にどなたも来られないのは淋しいですね。
洞雲院 知多新四国八十八か所 15番札所曹洞宗龍渓山『洞雲寺』御朱印をいただいてきました駐車場はお寺の前にあります 大きな山門があり立派なお寺です。
いついっても納経所に人がいまさん弘法堂は大変立派です。
知多四国八十八箇所霊場 第15番札立派な趣のお寺です徳川家康の生母である於大の方の菩提寺。
知多四国八十八ヶ所15番札所猫ちゃんいました。
知多四国霊場&梅花観音霊場。
駐車場はお寺の前に有ります。
御朱印は自分で押す感じですが、書き置き御朱印頼めば頂けます。
話しを聞かしてもらいました買わせないとこ言ってトイレドア閉めない方もいます写真では肌化ぬぐようにと言われたのか聴きたいです。
御朱印を頂きに伺いました丁寧に対応していただきました静かな感じで落ち着いていました知多四国八十八15番尾張三十三観音6番梅花三十三観音30番。
静かなお寺です。
立派な知多四国お遍路寺院です。
徳川家康の生母の於大の方の菩提寺です、由緒正しきお寺さんで、現住職はとても信頼性があり、おクリさんも優しく心配りの出来る方です😄特に住職のお経を読む声は素晴らしく聞き惚れます!父もう母も弟も葬儀でお世話になりました!まもなく息子さんが新しい住職となります!
20180922 3点 GGT0016御朱印もらいました。
今年は記念印付きです。
立派なお寺です。
新知多四国八十八箇所霊場十五番札所 龍渓山洞雲寺。
知多四国八十八箇所 15番目印はステーキ屋と阿久比町立図書館の道路案内看板分かりやすかったです。
名前 |
洞雲院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0569-48-0544 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
直書きで御朱印をいただきました。
小高い場所にあるので門からの眺めが良いです。