大変貴重な遺構を拝見しました。
住宅街にあるので、近隣の方々に配慮をしながら短時間での見学でしたが、大変貴重な遺構を拝見しました。
木曽三川(特に揖斐川)の河口に近接する桑名市は、低湿地帯なので井戸を掘っても塩水が混ざったりするなど、衛生的な水に困っていました。
そこで、地元の実業家の諸戸家は、まずは揖斐川に隣接する自宅の上水道としてここで浄水した水を送ります。
追ってこの上水道を桑名市内各地に延伸することで、市内全体に衛生的な水を供給させた貴重な遺構です。
桑名の豪商諸戸清六が私費で作った上水道の煉瓦積み遺跡。
その水は旧桑名町からその周辺の住民に無償で提供され、1904年から1929年まで使用された。
子供の頃から近所に住んでおり、よく中に入って遊びました。
皆で下まで降りたり、井戸みたいなところに金魚を離して引っ掛け釣りとかしてました。
自治会では諸戸水道とたぶん同じ水源であろう地下水を利用し飲料水に利用してました。
夏冷たく冬暖かい美味しい水です。
しかし、大山田地区の開発拡大に伴い山が水を浄化しきれなくなり1990年初頭に使えなくなりました。
幼少期から大雨が来ると水が貯まる地域でしたが、大雨が降った時に赤水になったのです。
自治会の水道料金も月に700円程だったのに…。
諸戸水道の下の住宅地まで降りてきたら今も地下水から染み出した水が道に流れているのがわかります。
集中豪雨で床上まで水が来ない事を祈ります(市のポンプ施設が有効に働き河口に水がはければ被害はないかもしれませんが、役人の想像を超えて雨は降るものです)。
ますます日本も世界も多くの利便性と引き換えに大切なものをどんどん失っていくのでしょう。
私にとってはそんな事を考えさせてくれる場所です。
行って良かった!と私は思いましたが一緒に行った人はうん…という微妙な感想でした。
初代諸戸清六が、独力で上水道付設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させた。
近代的な上水道としては、全国で7番目に完成したそうです。
明治37年(1904)に竣工し、昭和4年(1929)年まで使用されていたそうです。
諸戸家=初代諸戸清六は、桑名の素封家で「日本一の山林王」言われた一族です。
清六は幼名を民次郎といったが、民次郎が18歳の時、庄屋まで務めていた旧家だった諸戸の家を潰してしまった父清九郎の名をひっくり返して清郎九つまり「清六」と変え、その時に「立志の誓い」を行ったという。
その時の「立志の誓い」が現在でも諸戸家の家訓になっているというが、清六は、「時間是金也」、つまり「時は金なり」を信条として勤倹節約を実行し、米の売買を主に、わずか2年ほどで父の作った膨大な借金を全部返済してしまったそうです。
建造物(貯水池)と併せて素晴らしく偉大なお人ですね。
丘の中腹にあり、明治の頃の水道整備に思いを馳せることができます。
奥まったところにあります。
フェンスで囲ってあるため、あまり近くでは観察できません。
歴史的に重要な史跡だとは思うので、もう少し近くで見たいところです。
名前 |
諸戸水道貯水池遺構 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/history/history025.html |
評価 |
4.0 |
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写真のまま残ってる。
桑名駅から少し歩いた住宅街の中にある。