熊野神社の社記は,江戸中期元禄十六年十一月十八日の...
都会の中の落ち着いた神社です。
御朱印良い字です。
大通りに面していますが静かな神社です。
御朱印頂きました。
東京都港区麻布台に鎮座する飯倉熊野神社の直書き御朱印を頂きに参拝。
東京タワーのお膝元にある神社。
由緒沿革など奇祭の古書及び宝物等は、幾度も起きた火災などにより焼失され創立年代など詳細は不明。
ただ、伝えによると元正天皇の御代(680年~748年)、養老年間(717年~724年)芝浦海辺の地に鎮座していたそうです。
また文明年間(1469年~1487年)には太田道灌により再建され、併せて数多の品物を寄進された。
御府内備考の丁亥書によれば慶祚阿闍梨が勧請ありと記されている。
この慶祚は9世紀の人なので、「養老年中に芝浜に勧請後この所に遷す云々」とあり、おおよそ南北朝時代には、現在の地に鎮座せるものと推定されています。
お社向かって左隣に立つビルに社務所兼授与所があり、そこでお守りや御朱印の受付をなさっておられます。
因みに折々限定の御朱印も授与なさっておられますが、そちらは書き置きのみとなってます。
最寄り駅は大江戸線赤羽橋駅です。
お昼ごろお詣りしました。
都内の神社なのでずが落ち着く感じの境内でした。
久しぶりに御朱印を直に書いて頂けました。
御朱印の八咫烏がかわいいです。
ビルとビルの隙間にある神社なので行く目的がなければ行けない場所です。
神谷町駅から近く。
飯倉山や東京タワーの近くに行ったならお詣りすると良いだろう。
国道1号線に面した飯倉の坂の途中にある神社⛩️です。
小振りながら本殿内はとても綺麗に飾られ整っています。
イザナギノ命(ミコト)が祀られた地元の善き鎮守様です。
こじんまりしてるけど綺麗に整備されてる。
小さめな神社ですが綺麗に整備されてます。
サッカー日本代表をモチーフにした御守りが販売されてました。
港七福神の一つ恵比寿様が祀られている神社です。
2020年3月の平日。
午前中に伺いました。
天気も良く青空の広がる日に麻布十番で朝食を食べてから散歩がてら歩いて向かいました。
道すがら東京のシンボルである、東京タワーを見上げて少しテンションが上がります。
麻布十番から徒歩で約20分ほでdw飯倉熊野神社に到着。
Googleマップ通りに進めば、迷う事なく辿りつきます。
港区にあるので周りはビルに囲まれて、神社の場所だけ独特の空気感が漂っています。
神社自体は大きくなく、入り口から全体が見渡せる程です。
この神社の清める水は自動で出てきます。
手を近づけると自動で水が出て、自動で止まります。
神社として珍しいですね。
都心に鎮座する神社で何度も遍座し規模が小さくなった様です。
規模は小さいですが綺麗に整備清掃されています。
社務所はマンションの一階にあり綺麗で丁寧な御朱印を受領出来ます。
養老年間(680~748)に芝浦の海辺に勧請したのが始まりとされ、文明年間(1469~1487)に太田道灌により再建されたと伝わります。
有り難く、”熊野神社”の御朱印を頂きました。
熊野神社らしい八咫烏の印が捺されております。
小さな境内ですが、すっきりとして暖かい感じがするところです。
港七福神のお寺です。
東京では熊野神社が多いですね。
東京には熊野神社がたくさんありますが、どのような関係があるのか一度は知りたいです。
御朱印をいただきました。
サッカーのお守りもありました七福神巡りの御朱印は元旦から成人の日までだそうです。
2019年1月、港七福神巡り。
恵比寿神を祀る神社です。
こちらに来る前に宝珠院に寄り七福神の色紙に弁財天のの御朱印をいただき、その後にこちらで、恵比寿神の御朱印をいただきました。
手水舎は、左側奥にあり、すぐには気がつきませんでした。
都心に増えてきたビルに社務所がある神社です。
静かでとても落ち着きます。
ヤタガラスを祀っているので、JFA公認のサッカー守りがあります。
港七福神にて巡拝しました。
ビルの間のこじんまりと境内でした。
神職の方は感じの良い方でした。
気持ち良く御朱印をいただけました。
名前 |
飯倉熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3589-6008 |
住所 |
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関連サイト |
https://twitter.com/iikurakumano?t=xIl7oldKhrtHL4nqEoYSfA&s=09 |
評価 |
4.0 |
熊野神社の社記は,江戸中期元禄十六年十一月十八日の火災で焼失した様である。
このため,詳細な創建年月日は不明。
ただ,熊野神社の管理を任されていた正宮寺の歴代住職によって,「後小松院御宇・室町時代応永年間,慶祚阿闍梨が当地に熊野権現を勧請した」との口伝が残されていた。
江戸後期,これを聞き取った幕府の関係者らがこの事を『御府内備考続編(丁亥書上)』に記録している。
なお,平安時代の僧侶に慶祚なる人物がいるが,『御府内備考続編(丁亥書上)』を素直に読めば,室町時代の同名の別人と思われる。
『江戸名所図絵』にある当社の絵図には,境内に地蔵堂,太田稲荷社,秋葉水神宮が描かれている。
太田稲荷は現存。
地蔵尊は,現在,境内にあるものと思われるがどうだろう。
流石に違うものか。
養老年間創建とする地誌もあるが,信じ難い。